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"生命"の大安売り

臨床政治学 永田町のウラを読む
伊藤惇夫(政治アナリスト)

三月政局なんてたいした問題じゃない。真に深刻な事態......。それは、与野党を超えた政党、政治家に対する国民の決定的な「不信感」、あるいは失望を超えた「絶望」だ

 元々、この政党の成り立ち自体に無理があったのか。小沢一郎元代表に対する処分問題を巡って、いわゆる「小沢チルドレン」の一部による造反で、党は実質的に分裂し、菅政権はもはや、ダッチロール状態。支持率も危険水域をはるかに超える低迷ぶりで完全に"末期症状"を呈している。だが、一歩離れて眺めれば、所詮は党内の権力抗争であり、政権与党としての自覚と責任を放棄した「痴話げんか」に過ぎない。

「すわ政局だ」と騒ぎ、「解散・総選挙なのか、それとも内閣総辞職なのか」とはしゃいでいるのは永田町の住人たちとマスコミだけ。国民はとっくの昔に醒めきった目で、この騒動を見つめているのではないだろうか。

 この国の政治にとって、「三月政局」などたいした問題ではない。実はより深刻な事態が、静かに、しかし確実に進行している。それは与野党を超えた政党、政治家に対する国民の決定的な「不信感」、あるいは失望を超えた「絶望」だ。そして、この状況を助長している大きな要因の一つが、政治家にとって最も大切であるはずの「言葉」に対する「裏切り」行為の横行ではないか。

 言葉は政治家にとって最も大切なもの。というより、むしろ、言葉こそがすべて、といってもいい。政治家は、別に具体的な物を扱う仕事ではない。政治家の仕事は言葉によって国民の支持を得、それを背景に政治、政策を動かしていくことだ。だからこそ、その言葉には信頼が伴うことが絶対条件となる。だが、最近とみに目立つのは政治家たちが、あまりにも言葉を軽々しく粗末に扱い、その結果、信頼を失うような行為を平然と繰り返していること。

 鳩山由紀夫前首相の「方便」発言などもその一つだろう。大方の見方は「あァ、またやった」程度だろうが、問題はこの発言自体ではなく、「ウソ」をついたことを「正直」に白状してしまうという、そのあまりの"軽さ"にある。この政治家が一時期にせよ、日本のリーダーだったとは......。

 だが、より深刻なのは、現職総理の言葉に対する無神経な扱いである。日本の国債の格付けが引き下げられた時に「そういうことに疎い」と述べ、批判されるや、「情報がないという意味」などと釈明したのも噴飯ものだし、北方領土の日にロシア高官の相次ぐ訪問に対して「許しがたい暴挙」と述べたことも、総理の資質を疑うに十分な事例だろう。確かに国民感情はその通りだろうが、外交の最高責任者である総理が発するべき言葉ではない。案の定、ロシア側に付け込まれ、領土問題の解決は一挙に遠のいてしまった。

 が、それ以上に問題なのは、菅総理とその仲間による「生命の大安売り」だ。ここでいう「いのち」とは、「政治生命」のこ
と。政治家がこの言葉を口にする時は、文字通り、自身の政治家としての生死を賭けた決意の表明、のはずだった、少なくともこれまでは。だが、菅総理はその常識を軽々と覆してしまった。

 今年の初め、菅総理はTPP参加問題と税と社会保障の一体改革(消費増税)について、六月までに方向性を明示するとし、そのことに「政治生命を賭ける」と明言した。ところがその後の国会質疑の中で、真意をただされた菅総理は「改革に向け最大限努力するという意味」だと大変な"意訳"をしてみせる。長い歴史の中で、計り知れない重みをもった言葉として存在してきた「政治生命」が、一挙に「ゴミくず」扱いされた瞬間だったといってもいい。

 ついでにいうと、「ポスト菅」候補として注目を集め始めた前原誠司外相もロシア訪問に当たって、「北方領土の早期返還に政治生命を賭ける」と大見得を切ったが、ロシア側との会談ではまったく進展なし、どころか領土返還が絶望的になりつつあることを確認する結果に終わった。前原外相が言葉に忠実、真摯な政治家なら、帰国後、直ちに「駄目でした。政治家辞めます」といっても不思議はないのだが、反省や恥じらいもなければ、その兆候も全くなし。

 政権トップと次期トップを狙う政治家が、そろいもそろって「政治生命」という最も重い言葉を軽々しく弄ぶ政権が、果たして国民から信頼されるだろうか。「生命」を大安売りするその軽さが象徴する今の政治、美辞麗句の陰の権力抗争......。不信感は深まるばかりだ。言葉を粗末に扱う政治、政治家が言葉に復讐される時は近いかもしれない。
(了)

〔『中央公論』2011年4月号より〕