地域政党の勢いは、国政改革の引き金となるか
今首長に注目が集まっている。鹿児島県阿久根市では、市長が議会を招集せずに、人事・条例制定などで専決処分を繰り返して全国的に話題となった。ここでは市長の解職請求と議会の解散請求がともに成立し、市長の方は選挙に再立候補して落選した。また大阪府の橋下徹知事は、自分の系統の府議・市議を「大阪維新の会」に結集し、市と府を合併する大阪都構想を掲げている。名古屋市では河村たかし市長が公約としていた市民税一〇%減税を議会から否決されると、市民に議会の解散請求を呼びかけた。初の政令指定都市での住民投票の成立にあわせて市長は自身も辞職し、知事選挙と同日にトリプル投票を仕掛けた。二月六日の投票では、河村系の候補が勝利し、議会解散が成立した。ここでも大阪にならった「中京都」構想が打ち出されている。
国政での迷走と参議院選挙での敗北以後、民主党の退潮が言われて久しい。四月の統一地方選挙では、本来地方での基盤が弱い民主党は、各地で惨敗するであろうと予想されている。
しかし、首長のメディアでの露出が高い地域では、民主・自民とは一線を画する地域政党が結成され、首長を支えてもいる。国の二大政党は地域で崩れつつあるのだろうか。
日本では太平洋戦争の敗戦後にアメリカの強市長制をモデルに、都道府県・市町村に首長直接公選制が導入された。当時諸国では首長は議員ないしは名望家の互選で選ばれる形態が多く、直接公選制は世界的にも珍しい制度であった。だが、冷戦終結後の一九九〇年代には、ドイツ、イタリア、イギリス、東欧諸国、中南米諸国などで直接公選首長制が広く導入されていった。いずれも広い意味での国レベルの民主化が地方自治体に及んだものである。西欧では、イタリアでの既成政党の崩壊、イギリスでのトニー・ブレア内閣の地域コミュニティの一新が導入の契機である。いずれも既成政党の崩壊や弱体化が首長直接公選制導入の背景であった。事実これらでは、新しく誕生した首長の中には、政党と距離を置く傾向が見られるのである。
戦後当初の日本で、地方自治体のごく平均的な姿は、戦前の首長がそのまま公選で当選して多選を重ね、地方議会では、戦前以来の保守政党が地盤を掌握するというものであった。これに対して、高度経済成長とともに登場した社会党・共産党の支援を受けた革新首長は、公害対策や老人医療費など新政策を掲げ、自民党が優位に立つ地方議会、そして自民党政権と対決した。だが、石油危機後に地方財政が疲弊する中で行き詰まり、退場していったのである。
興味深いことに、当時と今とでは、保守の国と地方の革新との対立構図が逆転している。国の政権がかつての革新自治体と似た足跡をたどりつつある。政策的には福祉と諸々の手当の給付を掲げたものの、少数与党の参議院と対立し、リーマン・ショック後の財政危機の中で挫折寸前となっている。他方で、現在注目を集めている首長は、世界の潮流と同様、既成政党と距離を置く。そして政策的には、おおむね中曽根内閣以降の自民党政権と同様、小さな政府を目指す新保守主義に近い。
このような首長たちは、やはり新しい政治の一震源であろう。一つには、革新首長と同様に、地方制度の可能性を極めようとしている点である。専決処分、大阪都・中京都構想、関西広域連合などはいずれも、地方自治法を中心とする地方制度の問題点を指摘したとも言える。これらの指摘を受けて、国の側も、自治体の基本構造の「多様化」を検討し始めたのである。
二つにはプロフェッショナル批判である。一九九〇年代に登場した「改革派知事」が、官僚や国会議員経験者であり、地方政治のプロを自負したのに対して、現在メディアを騒がす首長たちは、プロである地方議員を排撃している点で、アマチュアリズムに与し、それによって支持を集めている。これは一見住民の不満に迎合したポピュリズムに見えるが、向かう先は、いずれ国政のプロである国会議員と既成の政党になる。
一九九〇年代の地方分権改革では、国が地方を変えようとしたが、いよいよ地方から国の制度変更を求める声が高まりつつある。さらには、議員という政治プロフェッショナル批判を、どこまで国政が受け止められるかが問われつつある。一つ一つの積み重ねが停滞する政治に風穴を開けていく。来る統一地方選挙はその第一歩かもしれない。
(了)
〔『中央公論』2011年4月号より〕