いっていい時悪い時

臨床政治学 永田町のウラを読む
伊藤惇夫(政治アナリスト)

福島第一原発の危機的な状況をよそに、永田町では「菅降ろし」が始まった。四月中旬には、小沢一郎も倒閣運動を再開。だが、これは「フライング」だったかも......

「いっていいこと悪いこと、いっていい人悪い人、いっていい時悪い時」

 これはあの田中角栄元首相が残した言葉だ。言葉を発する時は、中身の吟味と発言者自身の適格性、それにタイミングが大切だといった意味だろう。その角栄の愛弟子でもある小沢一郎氏は、この言葉とその意味するところを果たして知っていたのだろうか。

 福島第一原発の危機的状況はまだ続いている。復旧、復興への歩みも遅々として進まない。にもかかわらず、永田町ではすでに「政局」のきな臭い煙がそこかしこから立ち上り始めている。

 焦点はいうまでもなく、「菅降ろし」だ。すでに各方面から指摘されていることだが、東日本大震災発生以後、菅総理の言動はことごとく、「リーダーとしての資質」を疑わせるものばかり。「カンヌキ」(つまり「菅抜き」)という言葉が永田町の流行語になっている事実が象徴するように、今や「菅さえいなければ、震災対応も、与野党協議、大連立も、スムーズに進むのに」というのが、野党は無論、民主党内のかなりの部分の共通認識になりつつある。

 少し前、菅総理とかなりの長時間にわたって二人だけで話す機会をもった民主党のある幹部によれば、「菅さんは完全に情緒不安定。カウンセリングが必要かもしれない」と感じたとか。

 もしもこの話がある程度の事実を含んでいるなら、ゆゆしき事態といってもいい。だが、菅総理周辺から聞こえてくるのは、「総理は辞める気などサラサラない」といった声ばかり。そこで、「辞めさせたい」野党や民主党の一部と「辞める気がない」菅総理とその周辺の攻防が開始されたのだが......。

 とはいえ、真正面から菅総理辞任を求めている自民、公明、みんなの各党にしても、菅総理を辞任に追い込む決定的な切り札を手にしているわけではない。なにしろ、総理のクビを切れるのは自身以外にない。つまり居座りを決め込めば、誰も総理を引きずり下ろすことはできないのである。

 そこで、野党側は通常国会の終盤(会期末は六月二十二日だが、延長の可能性あり)に、参議院での問責決議案、あるいは衆議院での内閣不信任決議案を提出し、菅総理を追い込むという戦略を描いていた。「ねじれ」下の参議院での問責決議案は野党が結束すれば可決されるが、法的拘束力はない。一方、内閣不信任決議案は、可決されれば菅総理は解散・総選挙か総辞職かの選択を迫られる。この状況での解散はまず不可能だから、総辞職の可能性が高い。ただ、衆議院は民主党が圧倒的多数を占めているから、与党側から大量の造反が出なければ可決できない。

「さて、どうしよう」と、野党が考えあぐねていたところに飛び出したのが、四月中旬段階での小沢氏の「倒閣運動」再開の動きだった。菅総理を厳しく批判する「見解」を記した文書を配布したり、野党が不信任決議案を提出した場合、これに賛成する可能性を周囲に対して示唆したりと、かなりの「本気モード」である。さすがに小沢氏が動くと、その波紋は大きい。一挙に政局ムードが高まったことは事実だが、実はこの小沢氏の動き、「フライング」だった可能性が高い。

 野党が「菅抜き」を目指しているのはいうまでもないが、その一方、自民党や公明党内には今も強い「小沢アレルギー」が存在している。ここで小沢氏が動き出したことで野党側には急速に警戒感が広まった。「小沢と組むのか、小沢に主導権を握られるぞ」という心理である。

「小沢が最後に乗ってくるならよかったが、この段階でアクションを起こされた以上、戦略を練りなおさなければ」(自民党中堅議員)

 サプライズは、それが「唐突」であればあるほど効果的。だが、事前に悟られてしまってはインパクトが半減するどころかマイナスに作用することの方が多い。そのあたりの勘所は、十分押さえているはずの小沢氏にしては、仕掛けがいかにも早すぎた。どこかに存在感の低下に対する「焦り」があったのではあるまいか。

 確かに「見解」の内容は一部を除いて妥当なものだから「いっていいこと」かもしれない。党員資格停止とはいえ、いまだ民主党に留まっている小沢氏だけに「いっていい人」かどうかは評価が分かれるところだろう。はっきりしているのは「いっていい時」ではなかったという点。小沢氏がタイミングを読み違えたことで、今後の政局はますます混迷の度を深めることになるかもしれない。

(了)

〔『中央公論』2011年6月号より〕

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