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悲しき「権力成金」

臨床政治学 永田町のウラを読む
伊藤惇夫(政治アナリスト)

思いもかけず、ろくに準備もないまま権力や金力を手に入れてしまった連中の多くは、傲慢、横暴、強圧的になりやすい。こうした連中を俗に「成金」と呼ぶが......

「実るほど 首を垂れる 稲穂かな」

 高い地位や権限、影響力のある立場に就けば就くほど、謙虚にならなければいけない、という戒めが込められた言葉である。事実、政財界、芸能界、スポーツの世界など、どの分野でもいわゆる頂点を極めた「本物」の人物は皆、一様に謙虚であり、その権力、影響力を行使するに当たっては、極めて慎重だ。

 逆に、思いもかけず、また、ろくに準備もないまま権力や金力を手に入れてしまった連中の多くは、傲慢、横暴、強圧的な態度を示すことが少なくない。こうした連中を俗に「成金」と呼ぶ。

 政権交代からもう間もなく二年。新たに政権の座に就いた民主党のこの間の歩みを改めて振り返ってみると、なぜかこの「成金」という言葉が浮かんでくる。

 普通の「成金」は金の力でバカげたことをしでかすだけだが、こちらはもっと始末が悪い。突然、手に入れた強大な権力に「畏れ」を抱くより、その権力の「甘い誘惑」に溺れ、強引な行使に快感を抱く連中のことを表現するなら、さしずめ「権力成金」といったところか。

「成金」ぶりを示す事例は大小さまざま。まずは小さなほうからいうと、昨年の七月、民主党の衆院議員・松崎某が、航空自衛隊入間基地で行われた納涼祭で、秘書が運転するクルマを呼んだ際、自衛隊員が特別扱い(逆走)をせず規則どおりに対応したことに腹を立て、「俺を誰だと思っている」と誘導員を恫喝したという報道があった。些細な事件と言ってしまえばそれまでだが、事実であるなら権力を手に入れた民主議員の「はしゃぎぶり」を象徴する事例では......。

 一方、大きなほうで最も分かりやすいのが菅直人総理自身。この人、とにかく怒鳴る。東日本大震災発生直後、東電に乗りこんで怒鳴りまくったのは周知の通りだが、普段から官僚、官邸スタッフ、閣僚などを怒鳴る姿は日常茶飯事。その口癖は「俺は聞いてない」だ。
 大震災のような国家的危機に直面した時、最も冷静沈着であり、周りに安心感、信頼感を与えるのが権力の頂点に立つもののあるべき姿のはず。だが、残念ながら菅総理の言動はすべて、その真逆。突然、手に入った権力を闇雲に振り回す「成金」ぶりしか見えてこない。
 いま、政界では世論よりも野党、野党よりも与党、中でも政権中枢に近いものほど、菅総理の「資質」に危惧の念を抱くものが多いという不思議な現象が起きている。その原因は、たぶんこのあたりにあるのだろう。

 ただ、より大きな「権力成金」ぶりは民主党政権全体に見られる現象でもある。自公政権との?違い?を見せたいという子供じみた発想から日米関係軽視の発言を繰り返したうえ、何の展望もなく普天間移設を白紙にもどし、大混乱を引き起こしたのも、権力を手に入れたという驕りが生み出した暴走であろう。小沢一郎元幹事長による陳情窓口の一元化なども、その一例か。

 そして、これらをすべて象徴するのが「政治主導」だ。官僚を徹底排除し、大臣をはじめとする政務三役など、政治家がすべてを取り仕切ろうとする姿勢は、「自分たちは優秀だ」といった自己過信、「すべての権力を自分たちの手に」という欲望が背景にあるというほかない。

 政権運営の経験もノウハウもないものがその地位に就いた以上、ある意味で政権の運営に関するすべての「ノウハウ」を保持している官僚機構を、排除するのではなく、彼らの声を謙虚に聞き、いかに有効活用するか、という発想を持つのが当然。が、「成金」にそうした自覚や謙虚さは無縁だったらしい。

 いまではすっかり廃れてしまったが、かつての男の子たちの遊びの定番といえば、チャンバラごっこだった。子供たちがおもちゃの刀を振り回し、「われこそは正義の味方・鞍馬天狗だ!」などと元気に走り回っている姿は、微笑ましいし頼もしくも見えた。だが、その子供たちが突然、おもちゃの刀を本物の真剣に持ち替えて、振り回し始めたらどうか。これほど危険なことはない。おもちゃの刀なら、振り回す中で誰かに当たっても、大した怪我にはならない。だが、真剣を無闇に振り回し、それが人に当たれば、命に関わることになる。

 危険な「権力成金」となった"子供たち"から真剣を取り上げる方策はないものだろうか。

(了)

〔『中央公論』2011年7月号より〕