キングメーカーの明日

臨床政治学 永田町のウラを読む
伊藤惇夫(政治アナリスト)

党代表候補らが支持を得ようと「小沢詣で」を繰り広げた姿は、かつての目白詣でを彷彿させた。いつまでも存在感を示し続ける小沢だが、この先何を目指しているのだろうか

「総裁候補を出さない派閥は強いよ。常にキングメーカーでいられるから。田中派が抜群の党内影響力を維持できたのも、総裁候補を出さなかったからだ」

 古いメモ帳を読み返していたら、こんなコメントを発見した。日付は一九八七年七月十日、発言者は「黄門さま」こと現民主党最高顧問の渡部恒三氏だ。

 読みながら、ふと思った。「歴史は繰り返す」というが、結局、政治の世界は堂々巡り、二〇年以上経ち、政権は交代しても、進歩とは無縁の存在なのかもしれないと。

 今回の民主党代表選を眺めていて、改めて気付いたこと、それは小沢一郎という政治家が結局は"恩師"である田中角栄元首相の足跡を辿っているのではないかという思いである。現時点で民主党代表が誰になるのか、まだ明らかではない。だが、はっきりしていることは、やはり小沢氏及び同氏が率いる小沢グループが誰を支持するのかが、代表選挙の結果を大きく左右するという事実だろう。

 小沢氏の支持を得ようと、候補者の大半が直接、間接の「小沢詣で」を繰り広げた姿は、かつての自民党で、総裁候補者たちが「目白詣で」、つまり"闇将軍"となった角栄氏の私邸に押しかけた情景を彷彿させる。それこそ、まるでデジャブを見ているような気分である。

 前述したように小沢氏は角栄氏の愛弟子として政治家生活をスタートさせた。「三つ子の魂百まで」というが、政治家としての「人格形成期」に染みついたものは、そう簡単には消えないらしい。どころか、最近の小沢氏は以前にもまして、角栄氏に似てきているような気さえする。改めて比較してみると、いくつもの共通点が......。

 まず、かつての田中派は自民党内最大派閥であり、同時に「軍団」とも称されるほどの結束力で他派閥を圧倒していた。ある時期の田中派は、それこそ自民党の上位に位置する、いわば「持ち株会社」的存在として君臨していたといってもいい。対する小沢グループも、民主党内最大の集団であり、他のグループが出入り自由、二股OKの緩い組織であるのにもかかわらず、唯一、強固な結束力を誇っている。トップが「右向け」といって大半のメンバーがそれに従うのは、民主党内で小沢グループだけだ。

 また、冒頭で紹介した「黄門さま」の発言にもあるように、かつての田中派も現在の小沢グループも自前の総裁(代表)候補を抱えていないことで、かえって影響力を高める結果となっている点も一緒。

 もうひとつ、これは意図してのことではないだろうが、角栄氏、小沢氏ともに「刑事被告人」だというのも、内容に違いはあっても共通しているのが、皮肉な事実ではある。こう見てくると、やはり小沢氏は恩師の影を踏んで歩いているやに見えてしまう。

 と、ここまでは共通点ばかりを指摘してきたが、その一方で大きな相違点もある。それは「支える人」の有無だ。角栄氏の周りには、常に文字通り体を張って支える個性的な人たちがいた。「趣味・田中角栄」を公言していた二階堂進氏、「代貸し」として中堅や若手を取りまとめていた金丸信氏、最後には角栄氏から派閥を乗っ取ったが、長年にわたって黙々と"雑巾がけ"を務めた竹下登氏......。おそらくは角栄という人物の人間性とも絡むのだろうが、彼らは単なる子分というより、角栄氏を慕い、支えることに喜びを見出していたように見える。

 だが、小沢氏の場合はどうか。現在の小沢グループを見ていると、小沢氏に忠実で、その指示通りに動くものばかり。いい方を換えれば、小沢氏に「従う人」はいても、「支える」人が見当たらないのである。

 そのことに起因しているのかどうか、人材育成の面でも両氏の間にはかなりの差が見てとれる。田中派に所属した政治家たちの中からは、その後、竹下登、羽田孜、橋本龍太郎、小渕恵三の四氏が総理の座についた。一時期、田中派に属していた細川護煕氏も加えれば、なんと五人である。小沢氏をはじめ他にも実力者となったもの多数。

 一方、小沢グループはどうか。若手が圧倒的に多いことも事実だが、それを割り引いても、一向に「小沢後継たりえる人材」が育っていない。相変わらず、一人小沢一郎が屹立しているのみ。改めて思う。小沢一郎という政治家は、いったい何を目指しているのだろうかと。

(了)

〔『中央公論』2011年10月号より〕

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