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責任の一端を感じつつ......

臨床政治学 永田町のウラを読む
伊藤惇夫(政治アナリスト)

最近の政治家は小粒になったという声をよく聞く。確かにそうだ。同時に個性的な政治家の衰退が激しい。背景にはやはり選挙制度の問題が横たわっているのだろうか

 近くに私立の中高一貫校がある。われわれの時代、この学校の偏差値は決して高くなかった。いや、むしろ「あそこはやんちゃ坊主がいく学校」といった評判が定着していたくらいだったと記憶している。だが、この学校の卒業生の中からは、高名な芸術家、著名な音楽家やカメラマンといった人材が何人も巣立っている。

 つい最近、この学校の生徒の登校場面に出くわした時、ちょっと驚いた。かつての生徒たちと顔つきが一変していたからである。かつては個性あふれた「悪ガキ顔」が目立っていたのに、今はそれこそ全員といってもいいほど「優等生顔」。多くが眼鏡をかけ、同じような表情でおとなしく歩いている。およそ個性を感じない。そういえば、この学校、しばらく前から大学受験に力を入れ始めた結果、今やかなりの進学校に変貌していると聞く。

 彼らを見ながら、なぜか「永田町の今」を想起していた。そういえば、最近の永田町からは「個性」という言葉が消えてしまったような......。よく、「最近の政治家は小粒になった」という声を聞く。確かにそうだが、同時に個性的な政治家の衰退が激しい。そして、その背景にはやはり、選挙制度の問題が横たわっているような気がしてならない。

 自身が自民党時代、政治改革のスタッフとして制度の構築に関わった人間の一人だけに、現行の選挙制度の欠陥、それがもたらした?弊害?については常に責任を感じている。制度上の問題点も多々あるが、根本的には小選挙区制の導入が日本の政治風土を変えてしまったのではないかと。

 主に自民党に関してだが、中選挙区時代は一つの選挙区から複数が立候補できたため、世襲や官僚出身といった「正統派」の候補以外に、強烈な個性を持った奇人、変人も一部の熱心な支持者に支えられて立候補、当選が可能だった。そうした個性派政治家の多くは「風圧」や「迫力」「神秘性」「悪党の匂い」を身に纏った政治家となっていき、日本の政治に強烈な「彩」を与えていた。

 だが、衆議院の選挙制度が小選挙区制中心になったことで、状況は大きく変化する。自民党は小選挙区という「領地」を守るため、「殿の後釜は若殿」というシステムを強化した結果、世襲議員の塊と化してしまった。郵政選挙で当選した「小泉チルドレン」は所詮、アダ花に過ぎない。気付けば、今の自民党には個性的な政治家がほとんどいない。

 一方の民主党は、もともと少数からスタートしたため、候補者の拡大の軸に「公募」を据えた。公認候補として立候補させられるのは各選挙区一人のみ。応募してくる人材の中から、誰を選ぶかとなれば、やはり偏差値が高く、華麗な経歴をもった「優等生」が中心になる。変わり者を選ぶのはリスクが大き過ぎるからだ。その結果は「お利口さんの集団」の出来上がりである。まあ、こちらも前回総選挙で大量に当選した「小沢チルドレン」は例外としておこう。

 世襲議員、優等生議員に共通するのは、没個性であり、冒険や大胆な発想の転換、飛躍が苦手なこと。「出る杭」となって周りから叩かれたり、毛嫌いされることを避ける傾向があることだろう。かつての自民党には「○○アレルギー」という言葉が飛び交っていたほど、毛嫌いされ、しかし実力を持った政治家が山ほどいた。だが今は与野党を通じて、そうした政治家はほとんど姿を消してしまった。せいぜい小沢一郎、亀井静香といった名前が浮かぶくらいである。

 この三月、最高裁が前回の総選挙での「一票の格差」が違憲状態にあると判断したことから、ここにきて、与野党はようやく選挙制度改革に重い腰を上げた。だが、各党の思惑が錯綜し、抜本改革は遠い夢。おそらくは「○増○減」といった小手先の帳尻合わせに終わるのだろう。

 東日本大震災による未曽有の危機、経済を軸にした国際情勢の激動など、今ほどこの国に「政治」が求められている時期はない。だが、本物の政治を進めるための大切な要素の一つ、「多士済々」が消え、優等生とお坊ちゃまばかりになってしまった日本政治。改めて責任の一端を感じつつ......。

 本稿は今回が最後となります。長らく拙稿に目を通していただいた方々に心からお礼申し上げます。

(了)

〔『中央公論』2011年12月号より〕