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「官邸崩壊」の物語を野田政権は食い止めろ

時評2011
牧原 出(政治学者)

 これまでの一〇年間は、「失われた」時代であり、その間に何かが「崩壊」していったという感覚は、人々の意識の底によどんでいる。「崩壊」という言葉が政治を言い当てたとすれば、上杉隆氏の著書『官邸崩壊』が、きっかけだろう。この本は、安倍晋三元首相を人柄はよいがやや鈍い人物として描き、これまた思慮に乏しい政治家・官僚・秘書をその周囲に配する。頁を繰るたびに、無垢の安倍が一歩一歩、脇役たちに導かれるように破局へ突き進んでいく。ホラー映画で、怪物の待ち受ける部屋へ犠牲となる人物が進んでいくようなシーンが続く。これまでの政治関係の本にはなかった読み応えがある。以後、最近の元経済産業省官僚の著書『日本中枢の崩壊』に至るまで、政治の「崩壊」を言い放つ著書が量産されている。

 こうした舞台の奥には、「自民党をぶっ壊す」と叫んだ小泉純一郎元首相がそびえ立っている。その言葉通り、二〇〇九年の衆議院選挙で自民党は大敗し、野党に転落した。かわって登場した民主党政権は、何かを打ち立てるどころか、官邸も日米関係も地域社会も、そしてありとあらゆる政策構想をすべて崩壊させたように見える。その極限は、震災後、辞任すると言いながらいつまでも辞めずに官邸に立て籠もっていた菅直人前首相であろう。

「崩壊」のシナリオの特徴は、思慮深い人間を登場させないことである。先を読み通せる人物がいたとすれば、崩壊の前に何らかの手段をとったであろう。事実、「崩壊」を最初に呼び込んだ小泉元首相には、軽薄さがつきまとっていた。福田康夫元首相は官房長官時代には手堅さがあったが首相としては影が薄く、麻生太郎、鳩山由紀夫、菅直人と内容に乏しい饒舌さが目についた。そこを襲った東日本大震災。津波と原発被害によって、日本が廃墟になったという感覚は、ある瞬間列島に横溢したともいえるであろう。

 だが、新しい体制を作るには破壊は避けられない。事実、小泉の首相就任は、省庁再編直後であり、これによって新しく企画権限を得た官邸、経済財政諮問会議、特命担当大臣といった機関は、小泉の思うがままに造形された。安倍元首相以後、政治が一直線に「崩壊」していったとすれば、このような造形の努力が見られなかったからである。

 これに対し、民主党政権の二年間は、「政権交代」という気分を選挙前に盛り上げ、事業仕分けなど、「政権交代」の気分を持続させることが、鳩山・菅両首相にとり最大の関心事であり、唯一可能な選択肢だった。

 だが、記者会見を極力避け、「安全運転」を心がける野田佳彦首相には、少なくとも三つの目的がある。一つには、口の重い首相とは、小泉以後のどの首相とも異なるイメージを打ち出すことができる。二つには、密室での妥協が不可欠の国会とりわけ参議院対策が容易になる。三つには、具体的な政策実現によって成果を出すまでの時間を稼げる。足しあわせれば、「思慮深く」不言実行を貫いたというイメージが定着することになる。このときにはじめて「官邸崩壊」のストーリーが崩壊するのである。

 政権にとり追い風になるのは、「復興」である。ここには「崩壊」の正反対のシナリオが埋め込まれているからである。人命救助、被災者の生活再建、そして大量のがれきを前に、新しく国土とまちを再建しなければならない。第三次補正予算によって、いよいよ国の復興政策も動き出すであろう。地方自治体の復興計画も、各地で最終決定へと進みつつある。「復興」を目指した政策形成は、まずは現政権を継続させる方向に作用するであろう。

 だが、震災が日本政治に与えた警告は、危機管理への対応能力の低さである。災害のみならず、ソブリン債務危機は思いもよらぬ急速度で日本に波及するであろうし、アジア地域の安全保障も安定とはほど遠い。また、二〇一二年のアメリカ、フランス、ロシア、韓国の大統領選挙など、諸外国でのリーダー交代の可能性は、国際政治の激変をもたらす可能性もある。

 安倍以後の首相は、激変に振り回されるがままだった。唯一、菅前首相だけが、どんなに罵倒されようと、震災下で三ヵ月政治を止めるという荒業をやってのけた。加速するのも、また時間を止めるのも政治の技法である。野田首相の「安全運転」は、菅前首相あってのものともいえる。次の危機が来る前に、政権は安全運転の域を脱し、加速も減速も思いのままとなるだろうか。残された時間は決して長くはないのである。


(了)

〔『中央公論』2011年12月号より〕