橋下徹の圧勝で大阪府民は幸せになるか

時評2012
野中尚人(政治学者)

 大阪の新しい市長に橋下徹氏が当選した。大阪都構想を前面に出し、自ら大阪府知事を辞し、市長選挙に立候補してダブル選挙に持ち込むなど、異例づくしだった。

 今回の選挙で問われたことは、そうした選挙戦術の域をはるかに超えたものだ。一つは、都道府県と基礎自治体としての市町村、そして政令市との役割分担の問題だ。確かに、大阪都構想は戦時中に導入された東京都をモデルにしており、現在の地方分権化・住民自治の方向に十分に沿うものかどうか、ややはっきりとしない。いずれにしても、新しい法律が必要とされる。

 しかし、都道府県と政令市との棲み分けが不明確で、二重行政の無駄が指摘されてきたことも確かだ。特に大阪市の場合、ややもすれば「役人天国」との批判を浴びてきたこともあり、この際、大手術をした方が良いのではないかという住民の声も大きかったと思われる。

 もう一つの注目点は大阪維新の会だ。知事選とのダブルでの勝利は、同会にとって間違いなく大きな成果である。敗れた平松氏は現職であり、しかも共産党まで含めた既成の有力政党が推していたことを考えると、この結果は重い。

 ある出口調査によると、民主党支持者の五割、自民党支持者に至っては六割が橋下氏に投票したとされている。地域政党とはいえ、維新の会が、行政の歪みを正すという政治の重要な役割を体現しているということだろうか。だとすれば、国政を中心として作られてきた既存政党が国民に見放されつつあるということかも知れない。民・自両党のみならず、既存のすべての政党は真剣にこの意味するところと向き合うべきだろう。

 ところで、今回の選挙をめぐっては、投票判断に際して「政策や公約」を重視するのか、あるいは候補者の人柄を重視するのか、ということが調査されていた。多くの読者がご存じのとおり、橋下氏をめぐるかなり厳しい批判記事が週刊誌などに掲載され、それが一つの争点となったことを背景にしている。また、歯に衣を着せない橋下氏のもの言いは有権者にどう受け止められたのだろうか。

 今回の結果を見る限り、恐らく、都構想や行革の姿勢、教育問題への根本的な提案など、彼の政策に対する支持が人柄への「懸念」を上回ったということのようである。少なくとも、投票率が上がったことも踏まえれば、橋下氏の訴えは有権者に届いたということだ。

 しかし、論争はこれで終わるわけではない。むしろ、本格的に始まる。「今の日本の政治で一番重要なのは独裁」という発言は、彼の危機意識の鋭さを表現したものだ。しかし他方で、彼の政治認識の根幹にある危うさを示すものでもある。

 古代ギリシャの時代以来、民主主義は常に停滞や内部分裂に悩まされてきた。何も今に始まったことでもないし、世界中がそれと格闘してきたと言って良い。この苦闘の歴史の中で最も本質的な問題は何か。それは議会という合議制の機関を排除せず、いかにその機能を建設的な方向に発揮させるかということである。

 独裁と言わず、強力なリーダーであったとしても、単独の人間が勝手な意思決定を続ける仕組みは、結局は大きな失敗に終わっている。それが人類の過去の経験であり鉄則だ。少なくとも、短期間の非常時に限定した独裁 (例えばローマでは「インペリウム」と呼ばれていた) 以外は不可である。

 橋下氏は、「議会内閣制」なるものを提唱している。詳細を省いてこの仕組みの本質を言えば、例えば、近世イギリスにおいて、国王が議会の抵抗を排除するため、議会の有力者を要職につけるという引き抜き工作をしていたのと極めて似ている。むろん、これは徹底的に失敗した。

 またフランスでは、国民がお墨付きを与えた独裁者(典型はナポレオン一世)の下で、議会の骨抜きが行われてはそれを倒すための反乱・革命が繰り返し起こってきた。つまりこれらは、現代のポピュリズムとほぼ同じものなのである。

 いずれにしても、民主主義の下で大きな変革を進めるには並大抵の努力では足りない。大阪市議会の帰趨もはっきりとしない。まずはじっくりと腰を据え、大阪市民と府民の考え方を改めて真摯に聞き、議会ともしっかり話し合うことが肝要だ。むろん市議会側も、今回の選挙結果を真摯に受け止める必要がある。いずれにしても、制度を大きく変えれば、新しい制度の定着のために努力することこそが大切になることを肝に銘じてもらいたいものだ。

(了)

〔『中央公論』2012年1月号より〕

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