さようなら、小沢一郎

時評2012
野中尚人

 とうとう大きな一歩が踏み出されたようだ。税と社会保障の一体改革をめぐり、民自公の超党派合意に基づく修正法案が衆議院を通過した。大量の造反と実質的な党分裂を引き起こした野田首相と民主党にとってはまさに苦渋の決断であった。しかし、ここに至る過程での野田首相のリーダーシップは高く評価されてよい。

 この原稿を執筆している時点では、今後の展開ははっきりとしない。造反への処分も小沢新党もまだ不明確だ。最大の焦点は解散の時期であろうが、これにも諸説ある。

 しかし、今回の出来事は、二〇〇九年の政権交代以来の一定の区切りであり、同時に、もっと長い日本政治の潮流の中でも大きな転換点である。一言で言えば、高度経済成長を背景とした「五五年体制」から、グローバル化と大競争、そして少子高齢化という時代に相応しい政治へと向けた二つ目の大きな節目である。

「増税の前にやることがある」「国民との約束を勝手に違えることは許されない」。民主党から離脱する小沢グループの言い分である。しかし、どう言い繕っても、これはほとんど自己保身の弁明でしかない。本当に増税なしで〇九年のマニフェストが実行できるのならば、そのための信頼性のある代替案を提示すべきだ。残念ながら、財源案も、代替案も何も示されていない。つまり、反対のための空虚な呪文でしかないのである。そう、小沢一郎氏の時代はこれで名実ともに終わることになる。

 小沢政治のエッセンスを比喩的に言えば、先進的な上半身・頭脳と旧態依然の下半身の奇妙な同居であった。国対政治と官僚依存によって既得権擁護の政治に成り果てた五五年体制の政治を打破し、イギリス型の政治主導、二大政党と政権交代の政治への転換を推進したことは、彼の先進性を表している。また、そのための行動力も傑出していた。

 しかし小沢氏には、そうした先進性とは似ても似つかぬ「下半身」が常につきまとった。一つは政治資金の問題であり、どぶ板型の選挙優先主義もそうである。また、政党政治を標榜しつつ、その実、自民党経世会以来の「私兵主義」には抜きがたいものがある。彼がいるところ、小沢派や小沢グループという「党内党」が常に存在していた。様々な国民向けのレトリックの裏側に、自身の生き残りと政局の主導権への思惑がますます見え隠れするようになった。グループのメンバーに自分への「服従」を要求する面も強い。新党を作っては壊すという行動パターンはその結果である。

 要するに、小沢氏の両面性は、過渡期、あるいは変革の初期段階でのリーダーシップの結果である。与野党なれあいのぬるま湯と官僚依存の政治から、二大政党型の政権交代と競争の政治への転換という段階では大きな指導力を発揮した。しかし、一旦政権交代が実現してみると、彼の「先進性」はもはや過去のものとなってしまった。残念ながら、今の小沢氏は、刻々と変化する国際金融情勢への対応を拒否し、エネルギーや安全保障の面でも後ろ向きのポピュリスト的発言を日増しに強めている。

 他方で、小沢氏の行動には、全体としての日本政治が大きな曲がり角にあることを反映した面もある。少なくとも、国会の仕組みを「合理化」するとともに、主要な政党はガバナンスの体制を構築しなければならない。橋下氏を始めとする新しい運動や政治不信のうねりを見るにつけ、これらはまさに喫緊の課題である。つまり、今や日本は、新しい責任政治へのさらなる脱皮が求められているのである。それは、国民の声に耳を傾けながら説明と対話を繰り返すとともに、決定し実行する政治でもある。

 小沢氏は次期総選挙を生き残るかもしれない。しかし、同氏の政治リーダーとしての歴史的な使命は恐らく終わった。「アディユー、小沢」である。しかし、では、当面の政局を超えて日本の大きな進路を提示し、同時に現実の政治を切り盛りする政党とそのリーダーは誰なのか。

 通常国会の会期末が近づけば、野田内閣に対する不信任も現実味を帯びてくる。しかし、与野党間の政治を単なる殴り合いと足の引っ張り合いにしないための最低限の新たな土俵づくりだけは不可欠だ。それは党派利害を超えた責任政治の土俵だからである。「去りゆく」小沢氏に笑われないためにも、与野党のリーダーが知恵と勇気をもって早急に取り組んでほしい。解散はその後で十分である。
(了)

〔『中央公論』20128月号より〕

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