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谷垣と山口の絆がつなぐ自公連携のゆくえ

永田町政態学 

「谷垣さん、だから言わんこっちゃない」

 公明党の山口那津男代表は八月初め、こうつぶやいた。谷垣禎一総裁率いる自民党が、社会保障・税一体改革関連法案を人質に取って野田首相に早期の衆院解散・総選挙を迫った時のことだ。

 この約二ヵ月前の六月十五日、民主、自民、公明三党は、難航の末、法案を通常国会中に成立させることで劇的な合意を果たした。この時は、民主、自民両党の修正協議が先行し、公明党が協力に転じたのは十五日当日という土壇場の決断だった。

 公明党の決断が遅れたのは、山口氏が谷垣氏から直接、「民主党による消費税率引き上げには協力しない」と聞き、民自合意は最終的にはない、と踏んでいたからだ。この誤算に、支持母体の創価学会からは「危うく民自両党に置いていかれるところだった」と不満の声が漏れた。

 自民、公明両党は、二〇〇九年の政権転落を機に、一〇年間に及んだ連立関係を解消した。今、両党の協力は「選挙」に特化する傾向にある。そうした中、山口氏は谷垣氏と個人的なつながりを保ち、自公連携を支えてきた。年齢では、六十歳の山口氏が谷垣氏より七つ下。だが、二人は司法修習の同期でもあり、野党転落後の苦労を共にする中で、絆は深まっていった。

 山口氏が八月初め、「言わんこっちゃない」と困惑したのは、その谷垣氏が六月に続き、再び予想外の行動に出たためだ。六月の三党合意の後、公明党は"消費増税アレルギー"が強い創価学会への説明に追われており、「民自公三党による『決められない政治』からの脱却」が党の合言葉になっていた。ところが谷垣氏は唐突に「解散がなければ合意を破棄したい」と言い始めたのだ。

 これに先立つ七月二十七日、山口氏は国会近くのザ・キャピトルホテル東急の中華料理店で、自公両党の幹事長を交えて谷垣氏と昼食を共にした。気がかりなことがあり、谷垣氏の腹を探りたかった。

〈谷垣さんは、九月の自民党総裁選までに野田首相から解散の確約を得ないと再選が危うい。これからどう政局を仕掛けていくつもりなのか〉

 昼食も終盤。谷垣氏は唐突に「いつの日か、『海の日』の祝日にならい、『山の日』を作りたいんですよ」と語り始めた。好きな登山の話をし、柔和な表情を浮かべる谷垣氏を見て、山口氏は「自民党が今、事を荒立てて、一体改革をほごにすることはない」と感じ取った。

 ところが。谷垣氏はそのわずか数日後、強硬路線に転じた。再び読みを誤った形の山口氏ら党幹部は、身体を張って自民党を押しとどめようとした。最後は公明党執行部の「総退陣」まで持ち出し、ようやく翻意させた。

 首脳同士の"絆"が通用しなくなりつつある自公のすれ違いには、両党を取り巻く環境変化が影を落とす。

 参院ではこれまで、民主、公明両党の議員数を足せば過半数に達する状況で、自民党にとって両党の接近は脅威だった。ところが、民主党が分裂して新党「国民の生活が第一」が誕生した結果、この構図が崩れた。これまで公明党を大事にしてきた自民党幹部からも、「公明党は切り札でない」という言葉が漏れるようになった。

 自公のギクシャクぶりを見て、野田首相は逆に、公明党への接近を強めている。八月九日の長崎原爆忌。長崎市入りした首相は、空港から市内の城山小学校に直行した。多数が犠牲になった校舎を視察し、国の文化財指定を明言した。被爆した建物としては広島市の「原爆ドーム」以来だ。背景には、原爆で親族を亡くした公明党の秋野公造参院議員が、七月末の国会審議で視察を求めた経緯があった。学校に着いた首相は秋野氏に駆け寄り、「約束を果たしに参りました」と握手を求めた。

 ただ、公明党が首相に近づく気配は今は見えない。次期衆院選では自民党の協力を当て込み、九小選挙区に公認候補を擁立している。「近いうち」にある衆院選を考えれば、自民党との協力関係は乱せない。

 忍従の時が続く山口氏だが、周囲には「存在感を発揮する時も来る」と語り、意外に意気軒昂だ。苦渋の決断をした六月の三党合意には、年末の税制改正や社会保障制度改革国民会議などを、「民自公の三党で進める」と明記されている。議論が始まれば、党の存在感発揮は可能だと踏む。消費増税に伴う低所得者対策のうち、食料品などの税率を軽くする軽減税率の実現に照準を定めつつ、山口氏は「反転攻勢」の時を狙っている。(雄)
(了)

〔『中央公論』201210月号より〕