「決められる政治」に惑わされるな

時評2013
村田晃嗣(国際政治学者)

 二〇一二年は、国際的に「選挙の年」、「政権交代の年」と言われた。激動の二〇一二年も、十一月にアメリカ大統領選挙と中国共産党大会が終わり、残るは十二月十九日の韓国大統領選挙のみとなるはずであった。ところが、そこにわが日本でも衆議院が解散され、十二月十六日に総選挙となった。これを機に、日米の内政、そして日米関係について検討してみたい。

 まずアメリカでは、激戦の末に現職のバラク・オバマ大統領が再選を果たしたが、二期目のオバマ政権には課題が山積している。「一つのアメリカ」を標榜したオバマ大統領だったが、その一期目にはかえって党派対立や人種対立、貧富の格差が拡大した。今回の大統領選挙でも、フロリダが最後まで激戦地になった。この地では、白人の高齢者層と新興のヒスパニック層がせめぎ合っており、「分裂するアメリカ」の将来を照らし出している。

 連邦議会の下院では引き続き共和党が多数を制したため、アメリカ版「ねじれ国会」が継続する。二期目には、オバマ大統領自身が議会の野党指導者に、より積極的に働きかけなければならない。いずれ、政権のレイムダック化が急速に進行する。他方、共和党もこれ以上保守化を強めれば先細る一方であろう。ミット・ロムニー候補は、穏健派の顔と保守派の顔を交差させ、結果として信頼を低下させた。ここに共和党のジレンマが表出していよう。増税と財政支出の大規模削減の相乗効果による「財政の崖」転落を回避するためにも、与野党の妥協が不可欠である。

 わが日本の内政には、アメリカのように鋭いイデオロギーや政策の対立は見られない。自民党や民主党など既成政党の側だけではなく、日本維新の会のような、いわゆる第三極にもイデオロギーや政策での凝集性は見られない。数合わせの離合集散が有権者の政治不信を加速し、政治選択を困難にしている。
アメリカの政治と同様に、日本の政治もここ数年「ねじれ国会」に悩まされてきた。だから参議院の廃止をという声もあるが、「ねじれ国会」の経験に学んで運用に知恵を出しあう作業が、まず先ではなかろうか。また、日本も「財政の崖」に直面している。やはり、与野党の妥協と調整、協力が不可欠である。

 ごく当たり前のことだが、政治は妥協と調整、忍耐を要する営みである。「決められない政治」への苛立ちは理解できるが、即断即決だけがリーダーシップや政治の務めではない。日米ともに、有権者が妥協への許容度を高め、政治に対する忍耐力を回復する必要があろう。有権者の忍耐力の欠如が、インスタント政治家の跋扈を招いてきたのである。

 また、特に日本では強いリーダーの待望論が高まっている。だから首相公選制だという話もある。だが、アメリカの大統領選挙のように一年以上の選挙期間と重層的な政治参加を前提にせず、議院内閣制に首相公選制を接ぎ木したら、どうなるのか。一時の勢いで鳩山由紀夫氏を首相に選べば、「トラスト・ミー」の連呼に数年間耐えなければならなくなる。強いリーダーを得るには、リーダー育成の制度や文化を育まなければならない。その意味では、地方分権を進めて各地でリーダーを育成することも重要であろう。アメリカでは、知事からホワイトハウスをめざす者が多い。日本の場合、その知事の大半は元高級官僚である。脱官僚依存は地方政治にこそ該当しよう。

 さて、日米関係である。二〇一一年からオバマ政権はアジア回帰の戦略を明確にしている。この地域が世界で最もダイナミックに経済成長しているからであり、そして、ここに中国がいるからである。だが、上述のように、二期目のオバマ政権は内政に足をとられ、アジア回帰戦略を実施するにも財政上の基盤が脆い。その上、ヒラリー・クリントン国務長官が退任し、その腹心のカート・キャンベル国務次官補(東アジア太平洋問題担当)も離任するであろう。

 あと十数年で、中国が国内総生産(GDP)の規模でアメリカを凌駕するとさえ言われている。

 東南アジアのある外交官の表現を借りれば、「一〇〇年後にアメリカがアジアにいるかどうかはわからないが、一〇〇〇年後にも中国はここにいる」。だからこそ、アジア太平洋地域でアメリカのプレゼンスを維持強化することが、日本にとって至上命令なのである。その意味では、今ほど日韓協力の必要な時はない。そして、長期的で戦略的な外交を展開するには、やはり日本の内政の安定がカギになるのである。

〔『中央公論』2013年1月号より〕

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