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いつだって争点なき究極のキャラ選挙

青山佾(元東京都副知事)×橋本五郎(読売新聞特別編集委員)

常に前知事の歪みを調整するような人選

橋本 石原慎太郎さんの突然の国政転身を受けた都知事選挙が、目前に迫りました。誰を選ぶかというときに、過去の歴史に学ぶことも必要でしょう。都政を知り尽くした青山さんに、安井誠一郎さん以降、戦後六人の評価をお願いしたいのですが、都庁に入られたのは一九六七年ですね。

青山 二期目の最後だった東龍太郎さんに辞令を受けて、美濃部亮吉さんの三期目に政策室秘書係長を務めたのを皮切りに、鈴木俊一さん、青島幸男さん、そして石原さんの一期目に副知事と、四人の知事と身近に接する仕事をしました。そういうバイアスを排して総論的に言えば、歴代知事はみな時代の流れが反映された「人選」だったと思いますね。

橋本 なるほど。時代の所産ということですか。

青山 初代の安井都政は、まさに瓦礫処理から始まって、海岸線の埋め立て、住宅建設と、戦後復興が主たる役割だったと思います。ただ占領下でしたから、道路にしても国道一六号とか五日市街道だとかしか造らせてもらえなかった。名古屋や仙台みたいな「一〇〇メートル道路」は造りたくてもできなかった時代です。
 続く東都政は、そのできなかったことを六四年のオリンピックをテコに、一気に実行しました。首都高速、環状七号線(環七)の整備だとか。

橋本 地下鉄もそうですね。

青山 戦前からあった銀座線に加え、丸ノ内線が戦後初めて開通しました。経済成長や人口急増に追いついていないインフラを取り返すというか、占領の抑圧に対する怨念、それに裏打ちされた情熱がほとばしった時期ですね。
 ところが、とにかく密に住宅を建て、道路インフラを整備し、と進めていくうちに、例えば環七は歩道二メートルの道に、排気ガスを撒き散らすトラックが日に七万台も通るような「公害道路」になってしまった。

橋本 そこで美濃部革新都政が誕生するんですね。

青山 インフレ対策、消費者保護、福祉充実、公害対策といった政策が並んだのは、美濃部さんのパーソナリティーがウンヌンとかではなく、まさに時代の流れ、要請だったのですよ。ところがその調子で一二年間やると、やっぱり大きな歪みを生んでしまった。
 国レベルで言うと、日本列島改造論の時代。全国総合開発計画などに基づき、東名、中央、関越自動車道といった、広域幹線道路網の整備が急ピッチで進みました。一方で美濃部都政は、東京外環自動車道の建設を凍結。その結果、地方から高速道路を走ってくる車が、都内の一般道路に流れ込むことになったのです。これはまずいということで、本来、都市内の立体道路に過ぎなかった首都高速に、それら高速道路を泥縄式に連結。片側三車線の東名高速と二車線の首都高をつなげたのだから、東京インターが渋滞するのは当たり前なのです。

橋本 あそこは、もともとつなぐ予定ではなかったのですか。

青山 外環道を"受け皿"にするはずだったのです。けっきょく都心に入る必要のない車まで流入して、都内の交通渋滞が慢性化するようになったのですよ。

橋本 美濃部さんの時代には、「福祉バラマキ」で借金もかさみました。

青山 今度はそれを批判して、鈴木さんが当選し、四期一六年間務めた。このとき提案されたのが、「多心型都市構想」でした。できるだけ集中を避け、たくさんの「副都心」を育てようというわけです。で、新宿や臨海地域にハコモノを計画した。実は上野・浅草や錦糸町・亀戸なども副都心として名前が挙がっていたのですが......。

橋本 こちらは何かやった形跡は、ほとんどないですね。(笑)

青山 一方、福祉のバラマキを批判して当選した鈴木さんでしたが、一六回やった予算編成で、老人福祉手当を一六回値上げしてるんですよ。選挙で浮動票を多く取れるタイプではなかったですから、お年寄りの離反は避けたかった(笑)。特に選挙情勢が厳しかった三選の前には、月額一万七五〇〇円から三万五〇〇〇円に引き上げています。

橋本 意外ですね。ずいぶん切り詰めた印象があるのだけれど。

青山 世論に合わせて「柔軟な」政策を取ったのは、鈴木さんに限りません。

ハコモノ批判の青島 「青島プラン」に乗った石原

橋本 「時代の流れ」という点でいくと、次の青島都政はどういう位置づけになるのでしょう? 一期ということもあり、何かをしたという印象はほとんどありませんが。

青山 青島さんはハコモノを批判し、「都市博」中止を訴えて当選しました。
実は九五年四月に知事になり、その年の十一月には、「とうきょうプラン'95」という三ヵ年計画を作っているんですよ。ひとことで言えば、「多心型」から都心の機能向上への転換です。背景には、グローバル化により都市間競争が激しくなる中で、都心部をグレードアップしないとニューヨークやロンドンなどと伍していくのは困難だ、という発想がありました。具体的には、羽田空港の国際化や、三環状道路(圏央道、外環道、首都高速中央環状線)の整備などを政策化したのです。
 しかし、それを実行に移す力は青島さんにはなかった。そこで都民は、実行力のありそうな石原さんを知事に選んだわけです。実際に彼は、一三年間でそれらをあらかた実現させました。

橋本 青島幸男時代の政策を、石原慎太郎が実行したということですか。ちょっと意外な感じがします。
 石原さんは、首都の土手っ腹に刃を突きつけるような、米軍横田基地に対する問題提起なども行いましたね。

青山 オリジナルの政策としては、「東京マラソン」の創設なども彼の大きな功績と言っていいでしょう。半面、失敗だったのが、中小企業融資を目的とした「新銀行東京」。秘密裏に事を進め、タイミングを見計らって計画を公表し、実現に漕ぎ着けたのはさすが。しかし、そのタスクフォースの中に中小企業の専門家を入れなかったのは、明らかなミスでした。

橋本 東京の場合は常に、国との関係がどうあるべきかという問題に突き当たります。今の横田基地の話もそうですが、この点でも石原さんは一石を投じた感があります。

青山 国の政策は、あくまでも全国をどうするかで、正直、「東京はちょっと脇にどいていてくれ」でしょう。それに対して都知事の大きな役割は、常にそれではダメだと国と対峙し続けることにあります。東京一極集中と言うけれど、都民の納めた税金が地方に持っていかれていて、かつよくよくながめると地方のほうが豊かだったりする。いったいどうなっているんだという実感を都民が抱いているのは、確かですから。
 だから、歴代知事は東京を「主張」してきたし、石原さんはそのシンボルと言えますね。国との対決姿勢が鮮明なことでは、美濃部さんと双璧です。

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