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タカ派、世襲批判を乗り越えられるか

時評2013
村田晃嗣

「美しい国」から「新しい国」へ─安倍自民党は日本を再生できるか。

 安倍晋三という政治家について、人々が思い描くイメージは何であろうか。しいて三つ挙げるとすれば、「タカ派」「世襲」「再登板」というところであろう。実は、それらは自由民主党に対するイメージでもある。

 まず、「タカ派」である。日本の防衛力を整備することも、日米同盟関係を強化することも、自国の文化や歴史、伝統を強く誇ることも、日本ではしばしば「タカ派」と呼ばれる。しかし、この三者の関係は微妙である。自国防衛の負担を過度に軽減しようとすると、逆に、安全保障でアメリカに過度に依存し、結果としてナショナル・プライドを傷つける。日本の場合、アメリカへの敗戦と占領の経験があるから、なおさらである。また、日本が「自主防衛」に向かい、エスノセントリックな自己正当化を強めれば、近隣諸国との関係を害し、国際社会でのイメージを傷つけ、そして、日米関係も不安定化する。

 自国防衛と日米同盟関係とナショナル・プライドの間のベストミックスを図る─これに成功するか否かが、観念的で攻撃的な「タカ派」と成熟し安定した「保守派」の相違であろう。因みに、巷間をにぎわす自称「保守主義」や「真正保守」の類は、多様性や他者への感受性、自己抑制を欠く「急進派」や「過激派」であることが、あまりにも多い。かつて学生運動に参加した団塊の世代に、この種の「真正保守」が少なくない(彼らは自己への感受性に関しては豊富である)。そもそも、保守的であることは「主義」とは相いれにくい。

 次に、「世襲」である。安倍首相は元首相を祖父に、元外相を父にもち、弟も国会議員である。これも安倍氏に限らず、自民党には「世襲」議員が数多い。二世、三世から四世(例えば、小泉進次郎衆議院議員)までいる。もとより、「世襲」の定義は様々だし、野党にも「世襲」議員はいる。しかし、「世襲」議員が悪いというわけでもない。

 とはいえ、一九九〇年代以降、自民党の国会議員に占める「世襲」議員の割合は増えていった。同時に、「世襲」議員が首相になるケースも増えた(首相の学歴も東大など国立大学中心から私立大学中心に変わった)。実に、二〇〇四年には自民党の全国会議員の四割が「世襲」議員であったし、麻生太郎内閣の閣僚の半数以上は「世襲」議員であった。

 繰り返すが、「世襲」議員が悪いわけではない。問題はバランスである。多様性のない組織や社会は活力を失う。「世襲」ではないが、都道府県知事の三分の二が元中央官庁出身者という現状も、日本の地方自治に深い危惧を抱かせる。こうした特権の継承と、社会の底辺で生じている生活保護の親子にわたる不正受給には、どこかパラレルな構造があるのではないか。

 三つ目に、「再登板」である。安倍氏は二〇〇七年に自民党の参院選大敗とその後の病のために、首相を降板した。そして昨年、首相経験者として史上初めて自民党総裁に復帰し、さらに首相に返り咲いた。

 安倍氏の「再登板」は自民党の「再登板」でもある。今度こそ失敗は許されないという強い覚悟が必要である。

 そのためには、失敗の経験から学ばなければならない。そして、挫折の経験のない政治家は脆い。その意味で、挫折後の「再登板」を強みに転化できれば、「世襲」の弱さを補えるかもしれない。「天王山」となる七月の参議院選挙で、安倍自民党がどのような人材を擁立するのかを注視したい。「世襲」候補や「タレント」候補、衆議院落選者の「転向組」が多数を占めるなら、失望を禁じ得ない。「タレント」と「転向組」については、野党にも該当しよう。

 安倍氏は二〇〇六年に『美しい国へ』(文春新書)を世に問うた。今回は『新しい国へ』(同)である。この間に、日本の政治も経済も混迷し、国際的な地位も低下した。実は、「再登板」は日本そのものの課題なのである。そして、この混迷には自民党も民主党も、両者に政権を委ねた有権者も、応分に責任を負っている。安倍内閣と自民党と日本の行く末を案じながら、最後に、フランスのドゴール大統領が好んだ、ギリシアの哲学者ソフォクレスの言葉を引用しよう。「一日がいかにすばらしかったかは、夕刻にならねばわからない」。
(了)

〔『中央公論』2013年3月号より〕