五輪招致で勢いに乗る安倍外交
「TOKYO(東京)をよろしく」。九月六日夜、安倍首相は南米アルゼンチン・ブエノスアイレスに到着すると、国際オリンピック委員会(IOC)総会後のレセプション会場に乗り込み、委員らに「二〇二〇年東京五輪招致」を直接訴えかけた。ロシア・サンクトペテルブルクから二〇時間のフライトの疲れも見せず、会場に直行した「トップセールス」だが、周囲に威圧感を与えないよう、普段は四方をガードする警護官(SP)を最小限にとどめ、近づく相手は決して排除しないよう、事前に指示を出していた。総会では、滑らかな英語でスピーチを披露。各国で不安の声が広がっていた東京電力福島第一原発の「汚染水問題」について「私が保証します。状況はコントロールされている」と明言した。関係者は首相の「コミットメント」(確約)が、最大の懸案となっていた汚染水問題への不安を抑え、東京五輪・パラリンピック招致を大きく引き寄せたと証言する。
「安倍外交」が勢いに乗っている。『読売新聞』の世論調査で、九月の内閣支持率は、発足直後(六五%)を上回る六七%に達した。東京五輪招致を成功させるなど、外交の成果が追い風になっている。昨年十二月の就任以来、首相は自ら宣言した「月イチ」ペースでの外遊を実践している。九月までの外遊回数は計一〇回、訪問国は二二ヵ国に上る。特に主要二〇ヵ国・地域首脳会議(G20)、IOC総会出席は、九月四日に出発し、ロシアで五、六の両日開かれたG20を初日で切り上げてアルゼンチンに飛び、七日の招致説明後、九日に帰国するという、二泊六日の強行軍だった。G20のホスト役だったプーチン露大統領との五日の首脳会談で、首相はIOC総会出席のため、会議を中座することをわびたが、プーチン氏は「勝ってこい」と快く送り出したという。五日後の十日、プーチン氏は招致成功を祝う電話を首相にかけ、「ロシアの柔道家が金メダルを獲得するのが難しくなるのでは」と冗談を飛ばした。日露関係筋は「あの冷厳なプーチンが」と目を丸くしているという。両者の顔合わせは早くも今年三回目。関係者が「プーチンの表情が会う度に柔和になった」と語るほど、二人の相性は良い。
首相はG20に合わせ、中国の習近平国家主席と韓国の朴槿恵大統領との接触も果たし、得点を稼いだ。
中国はG20前、「首脳同士の接触は避けてほしい」と日本側に要請していた。沖縄県・尖閣諸島国有化一年を控えての配慮だったが、首相は会場で習氏と行き会うと、満面の笑顔で語りかけた。習氏が応じれば、首相就任後初の対話が実現する。無視すれば、「礼儀もわきまえず、かたくなな中国」との印象が国際社会に広がる。どちらに転んでも損はないという首相の計算だった。一瞬、凍り付いたような表情だった習氏も握手に応じ、会話を交わさざるをえなかった。
朴大統領との接触は、日韓の申し合わせで内容や形式は公表されていないが、握手する場面もあったという。
首相は「対話のドアは常にオープン」と公言し、中韓首脳との会談に意欲を見せるが、「日本側が譲歩したり、頭を下げたりしてまで応じる必要はない」との方針を貫いている。朴氏との立ち話でも、首脳会談は呼びかけなかったとされる。それでもあえて接触を試みたことで、「対話のボールは先方にある」という印象を内外にアピールできた。
九月五日の日米首脳会談でも、ツキは首相の味方だった。米側は当初、オバマ大統領がG20初日の五日、二国間会談に割けるのはわずか一時間として、「六日なら首脳会談に応じられる」と伝えてきていた。首相は五日夜にロシアを発つため、会談は絶望的だった。しかし、米側は直前になって五日の会談を打診してきた。首相が直前の三日の電話会談で、シリア攻撃への支持を要請する大統領に言質を取らせなかったため、多数派工作に必死の大統領は、首脳会談というカードを切らざるをえなくなったからだ。二〇〇三年のイラク戦争の際、小泉首相(当時)は真っ先に米国支持を表明したが、開戦理由となった大量破壊兵器が見つからず、「対米追従」と批判されたという反省があった。
順調に見える安倍外交だが、ツキに恵まれている面もある。「好事魔多し」と言うが、昔から、幸運の女神は逃げやすいものだ。「良かった。五輪招致に失敗したら、メチャクチャに批判されて大変だった」と周囲に語る首相自身が最も強く自覚していることだろう。(修)
(了)
〔『中央公論』2013年11月号より〕