官主導から官民連携へ 戦後日本スポーツ産業の歩みとは

日本スポーツ産業の過去と未来 アフターコロナを見据えて(第1回)
桂田隆行(株式会社日本政策投資銀行 地域企画部 課長)
日本のスポーツ産業はどこへ向かうのか(写真提供:写真AC)
世界中に感染が拡大した新型コロナウイルスは、スポーツの楽しみ方を根底から揺さぶっている。日本では2013年9月に2020年東京オリンピック・パラリンピック競技大会の開催が決定、15年10月にはスポーツ庁が創設され、スポーツ産業が成長に向けて順調な歩みを見せていた。その矢先に大きな危機に直面している状況だ。一方で、この危機をバネに、未来の成長に繫がるような新たな動きも見られつつある。こうした状況を踏まえ、わが国のスポーツ産業政策とその中心テーマの一つであるスポーツ施設を巡る過去、現在、未来を展望すると共に、アフターコロナ時代におけるスポーツの存在意義も考えてみたい。

始まりは「スポーツ振興法」

わが国のスポーツ施設整備とスポーツ産業を振り返る上では、スポーツ政策のこれまでの流れを知っておく必要があるだろう。

戦後、1964年の東京オリンピック・パラリンピック競技大会の開催を控え、政府は61年に「スポーツ振興法」を制定した。この法律は第1条で「スポーツの振興に関する施策の基本を明らかにし、もつて国民の心身の健全な発展と明るく豊かな国民生活の形成に寄与することを目的にする。」とその目的を定めている。

そして第3条第1項において、「国及び地方公共団体は、スポーツの振興に関する施策の実施に当たつては、国民の間において行なわれるスポーツに関する自発的な活動に協力しつつ、ひろく国民があらゆる機会とあらゆる場所において自主的にその適正及び健康状態に応じてスポーツをすることができるような諸条件の整備に努めなければならない」と施策の方針を定めるとともに、第12条で「国及び地方公共団体は、体育館、水泳プールその他の政令で定めるスポーツ施設(スポーツの設備を含む。以下同じ。)が政令で定める基準に達するよう、その整備に努めなければならない」と行政主導でのスポーツ施設整備を唱えている。

この時代は、まだ国民が十分に活動できるだけのスポーツ施設が整備されていなかったため行政に対しスポーツ施設整備を求めたのだと考えられる。

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