温室効果ガス削減「46%」目標の衝撃 なぜ日本は乗り遅れたのか?

前田雄大(EnergyShift統括編集長)
 4月22日、菅首相が2030年度の温室効果ガス削減目標を13年度比で46%減とすることを宣言した。「脱炭素」の取り組みに積極的ではなかった日本政府が急に舵を切った背景には何があったのか? かつて外務省でパリ協定の調整にあたった前田雄大氏が解説する。
(『中央公論』2021年8月号より抜粋)

天を仰ぐほどの温室効果ガス削滅目標

 日本にもついに世界の「脱炭素」の波が押し寄せ、その方向へ大きく舵を切ることとなった。今年四月二十二日、二十三日に、アメリカのバイデン大統領の呼びかけで気候サミットがオンライン開催され、ここで菅首相は温室効果ガスの排出を二〇三〇年度までに四六%削減することを目指すと宣言したのである。従来の目標が二六%削減だったので、この数字は倍増に近い。削減目標は二〇一三年度を基準年としているが、世界と比較して日本は既に省エネルギーを大きく進めてきているので、市民感覚としても相当にきついと感じるし、ましてや産業界は天を仰いだのではないだろうか。無謀ともいえるこの数字設定には、政府内でも相当の紆余曲折があった。本稿では、温室効果ガス排出四六%削減の背景を、国内外から振り返り、検討したい。

 筆者は外務省に二〇〇七年から一九年まで勤務し、気候変動対策に関する多国間合意「パリ協定」関連の政策立案などに携わってきた。温室効果ガス削減は以前から世界的な課題とされ、政府においては旗振り役の環境省、エネルギー行政を司る経済産業省、そして各国と折衝する外務省が中心となって協議してきた。そして経産省が現実的に積み上げた最近までの削減目標値は、各社報道にもあったように三〇%台後半だったと見える。しかし、ヨーロッパ勢は以前から脱炭素を進め、そこへ中国が二〇年九月、CO排出量と除去量・吸収量を差し引きゼロにするカーボンニュートラルを二〇六〇年に達成すると宣言、そしてアメリカでは脱炭素に否定的だったトランプ政権から積極的なバイデン政権に代わり、世界の脱炭素の流れはここ一年で一気に推進方向へと決定づけられたのである。急遽、路線変更を迫られた日本だが、脱炭素への動きはどこで停滞してしまったのだろうか。

〔中略〕

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