小池百合子 私はジョーカーではなく、 ハートのエース

小池百合子(東京都知事)

評価すべき長期政権の功績

──あらためて、安倍政権への評価をお聞かせください。


 私はずっと安倍さんのことを応援していました。理由の一つは、日本では長年、民主党政権も含めて総理が毎年のように代わっていたことです。それ自体が日本の国益をそいできたことに危機感を覚えていました。毎年、G7サミット(先進7ヵ国首脳会議)のような国際会議のたびに、海外メディアから「日本はまた新しい首相なのか」と言われ、首相の写真を取り違えられたりしていた(笑)。国家としてのプレゼンスを明確にするのは、基本的に大事なことです。安倍さんは、長期政権を築くことで政策の一貫性と継続性をともに実現しました。

 もう一つは、地球全体を見ながら日本の国益を考える思考に、自分と共通点があると感じたからです。その点は安倍さんも分かっていて、だからこそ、第1次政権の時に私を総理大臣補佐官に引き上げ、防衛大臣に任命されたのだと思います。

 余談ながら、私はその前の小泉純一郎内閣で環境大臣を3年務め、これは今でも環境大臣として最長の任期だそうです。小泉政権が終わり、長きにわたる大臣職を解かれて、ほっとしたのも束の間。家に帰って靴を脱いだとたんに携帯が鳴って、画面を見たら「安倍晋三」と。「来てください」と言われて、また官邸に戻ったら、総理補佐官の就任要請だったのです。そんなバタバタがありましたから、当時安倍さんから言われたこともよく覚えています。


──どんな話をなさったのですか。


 総理補佐官には5人が任命されたのですが、「あなたは国家安全保障問題担当です」と。役職名に「国家」の2文字が付いている。「これがポイントだからね」とおっしゃいました。他に「国家」が付くのは国家公安委員長くらいでしょう。その時には、日本が守らなければならないものに対する強い思いが、ひしひしと伝わってきました。

 総理補佐官の仕事について述べさせていただけば、私が任されたことの一つが、日本版NSC(国家安全保障会議)の創設に向けた取り組みでした。それまでの「安全保障会議」では、例えば当時すでに問題化していた北朝鮮のミサイル発射についても、関係者が集まって防衛省から事後報告を受けるというスタイルで、国の安全保障を論じる場としては心許ない。これに対して日本版NSCは、目の前で起きていることや今後の動向を分析し、どう対処していくのかという国家戦略を官邸が中心となって議論、決定していく組織で、安倍さんは創設に並々ならぬ意欲を見せていました。

 それに向けて、「国家安全保障に関する官邸機能強化会議」ができ、私は議長代理として、議員の人選や新たな組織の建て付けについての議論をはじめ、準備作業に中心的に携わらせていただきました。残念ながら、安倍さんが病気で総理を辞したため、日本版NSCの設立は一時立ち消えになってしまったのですが、第2次政権の2013年に関連法が成立し、日の目を見たわけです。

 安倍さんは常々、太平洋はコモンズ、共有のものだと口にしていましたね。そういう地政学的、戦略的コンセプトをお持ちで、その一環として、私は日本の防衛大臣として初めてインドを訪れました。そんなグローバルな仕事を一緒にできたことは、今でも大変嬉しく思っています。

 繰り返しになりますが、なによりも自らを通じて、あらためて日本の存在を世界に知らしめた功績には、大きなものがありました。安倍政権が長く続いたことが、国の内外で多くのメリットを生んだことは間違いありません。

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