『招かれた天敵──生物多様性が生んだ夢と罠』千葉 聡著 評者:鶴田想人【新刊この一冊】
評者:鶴田想人(東京大学大学院博士後期課程)
本書は壮絶な闘いの記録である。
『歌うカタツムリ』で進化論史を扱った著者は、今作では生態学あるいは応用昆虫学の歴史を繙(ひもと)く。しかしそれが単なる学説史的関心からではないことに、読者はやがて気づかされる。
テーマは天敵を利用した害虫駆除の手法である「生物的防除」。その古典的成功例としては、19世紀末の米国の農家を悩ませた害虫イセリアカイガラムシの、天敵ベダリアテントウを用いた防除がよく知られている。
生物的防除は、20世紀米国の生物学者レイチェル・カーソンが『沈黙の春』で農薬による化学的防除に代わる「もうひとつの道」として称揚して以来、「自然のバランス」を巧みに利用した夢の防除法として世界中でもてはやされてきた。しかしそれがもたらしたものは、夢のような話ばかりではなかった。そこには当然、罠もあった。
「夢の天敵」として導入された生物はしばしば新たな害虫となり、駆除の対象となった。さらに悪いことに、そうして「招かれた天敵」が貴重な在来種を食い荒らし、ついには絶滅に追い込むことさえもあった。
ハワイ固有種のカタツムリ、ハワイマイマイ属の悲劇は、まさに生物的防除の夢が悪夢に転じた失敗の最たるものであった。どこからかハワイに持ち込まれて害虫化した外来種アフリカマイマイを駆逐するために、天敵のカタツムリ、ヤマヒタチオビが導入された。しかしこの天敵はハワイマイマイ属を含む固有種を先に食い荒らし、その少なくとも半分(もしかすると9割!)を絶滅させてしまったという。
一度害虫化した天敵を抑えることは難しく、失われた固有種とその生態系は二度と戻らない。悪夢は取り返しのつかない結果を生む。最終章で告白されるように、著者自身もかつて小笠原固有のカタツムリの保全に失敗して、そのことを痛いほど思い知らされた。
それゆえ本書は著者自らの闘いの、そして失敗の記録でもある。しかし敗北の記録ではない。成功よりも失敗の歴史からこそ多くを学び得るという信念が、著者に本書の筆を執らせたからである。闘いはまだ終わっていない。事実、著者は野生下での絶滅前に捕獲して人工繁殖に成功したカタマイマイ類の、小笠原・父島での野生復帰に希望を繋いでいる。ユニークなのはその戦略である。「そのために何をしたらよいか。/まず歴史を知る」。
自らの失敗を普遍的な失敗の歴史の中に位置づけて、そこから学ぶこと。それは米国の進化生物学者ジャレド・ダイアモンドのいう「自然実験」を思わせる。自然史も含む歴史学は実験室での実験ができない。その代わりに、歴史家は過去全体を「実験室」とし、そこで行われた数々の「実験」から学ぶことができる。
生物的防除の失敗の背景には、基礎研究を無視した勇み足がなかったか。また、その土地土地の生物進化の歴史の軽視がなかったか。「自然のバランス」という甘い言葉に夢を見すぎてはいなかったか。あるいは化学的防除への反発から、生物的防除を持ち上げすぎてはこなかったか──。本書で辿られる一つ一つの「失敗」が、私たちの未来を占う試金石となるのである。
レイチェル・カーソンとともに人々の紡いできた、生物的防除の夢と罠。それを公平な眼差しで捉えた本書は、「自然」を愛し、守ろうとする人に、ぜひ読んでほしい一冊である。
(『中央公論』2023年7月号より)
◆千葉 聡〔ちばさとし〕
1960年生まれ。東北大学東北アジア研究センター教授。東京大学大学院理学系研究科博士課程修了。
専門は進化生物学、生態学。著書に『歌うカタツムリ』(毎日出版文化賞)など。
【評者】
◆鶴田想人〔つるたそうと〕
1989年東京都生まれ。東京大学大学院総合文化研究科博士後期課程。専門は医学史、博物学史。論文に「ルネサンスのきのこ学」「植物の名を正す」(ともに『ユリイカ』)など。