東 浩紀 「訂正」のダイナミズムを失った日本

東 浩紀(批評家・哲学者)
東 浩紀氏
 新刊『訂正可能性の哲学』(ゲンロン叢書)が話題の批評家・哲学者に、自らの経営経験にもとづく組織論、変われない日本社会の問題の本質について聞いた。
(『中央公論』2023年11月号より抜粋)

 「経営の身体」への気づき

──東さんは批評家・哲学者として活躍されながら、2010年に出版事業やイベントスペース「ゲンロンカフェ」の運営などを手がける株式会社ゲンロンを創業し、18年末まで代表取締役として経営してこられました。『ゲンロン戦記』(中公新書ラクレ)にはその経験が赤裸々に語られています。哲学の言葉と経営の言葉が交差していて、中でも「経営の身体」という言葉が新鮮でした。


 僕は小さい会社をやっているだけで、『中央公論』の読者さんには当たり前の話ばかりだと思いますが......。(笑)

 僕が会社の事務的なことを他人に任せすぎていたために、会社が経営危機に陥りました。ゲンロンカフェでいえば、備品の数や機材の配線にいたるまで、すべて一つひとつ自分で確認し直すところまで追い詰められたんです。

「経営の身体」は、なんとか会社を建て直そうとする中で、後から振り返ると得ていたなと思うものを言葉にしたものです。「月々いくらぐらいお金が出るか」や「いつぐらいに預金残高がこれぐらいないとショートするか」といったことが一応頭の中に入っていて、感覚として分かっている状態を指して使いました。

 こうしたことを他人に任せていると、どこがうまくいっていないのかが分からなくなってくる。細かいことまで把握してはいるという自信が重要だと、そのとき気づきました。むろん、あくまでも小さい会社だったからできることで、会社が以前より大きくなったいまは全部分かっているわけではありません。でも一度そうした経験を積むことは大事だと思います。

「いま、残高いくらぐらい?」と聞かれて、「待ってください」とエクセルを呼び出しているのではだめなんです。古臭いと思うかもしれませんが、パソコンにデータが格納されているからそれを見ればいいと思っている社員は頼りにならない。

 経営判断は、いろいろな要素を考えながらも、「それだったらこれはいける」と、最後は感覚で飛ぶしかないものです。そういう意味では、「いいかげん」にやらなければいけないものだと思います。いちいちすべてのデータを精査し合理的に判断しようとしていたら時間がかかりすぎる。だから、いいかげんでもいいからデータがだいたい頭に入っている、それが身体化していることが大事なんです。「僕の新刊何冊ぐらい売れているんだっけ」と聞いたら、「よく分からないけど7000冊から8000冊ぐらいだと思います」といってくれないと困るわけです。

 人間の側が「いまの時期はこれぐらい売れているはず」という感覚を主体的に持ったうえで、エクセルを見る。そしてデータによって感覚を微調整していく。だから「身体」としかいいようがない。その身体の感覚がないと、大きな異常があったときに気づけない。

 会社経営の本質は金勘定です。だから、新事業をやろうとなったときでも、いくらかかるのか無意識に計算できることが大事です。そういう発想がないと、「赤字だけどいろんな人が喜んでくれてよかった」で終わってしまいます。それでは持続しません。

 お金がかかるから自分の中に縛りができる。無料だとその縛りがなくなる。最近の一部の出版社や大学はそのあたりが怪しくなっていて、「みんな手弁当でやっているからいいでしょ」みたいになっているのが不健康だなと思います。

 うちの会社はインターンやボランティアを使っていません。相手に特殊な事情がないかぎり、安い賃金でもとにかく払う。これはうちのような業種で規模の小さい会社ではおそらく珍しいと思います。でも、無償にしてしまうと心意気や人間関係だけが頼みになる。しかし心意気は長く続かないものです。だから金勘定が大事になる。

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