東 浩紀 「訂正」のダイナミズムを失った日本
「訂正」の連続としての経営
──『ゲンロン戦記』の中に、「ぼくみたいなやつを集めたい」というホモソーシャルな欲望に意識的に対峙していかなくてはいけないとありました。この欲望はあらゆる組織に共通するものだと思いますが、どう向き合えばいいのでしょうか。
これも商売をしていれば当然出てくる話なのですが、例えば男性だけでなく男性と女性の双方を相手にしたほうが、潜在的な顧客は2倍になるわけです。若者だけでなく中高年も、東京だけでなく地方も相手にしたほうが顧客は増える。同じ属性の人だけを相手にするのは楽しいかもしれないけれど、商売にはなりません。
ツイッター(現X)上で、僕の新刊『訂正可能性の哲学』(ゲンロン叢書)についての感想をリツイートしています。そのときついでにプロフィールを見るんです。すると、自営業者やビジネスマンが多く、女性もいて、普通の人文書の読者とは違うお客さんがいることが分かります。そういう状況をつくれたのは、この10年以上、ゲンロンでお客さんを広げようと試行錯誤してきたからです。それが数に跳ね返っている。
組織の多様性は、理念というよりも必然性から出てくるものだと思うんです。逆に理念だけで多様性を求めても弱い。女性を入れなきゃいけないから入れるのではなく、女性を入れる必要があるから入れる。ゲンロンカフェでいえば、お客さんに女性を増やそうとすれば、登壇者が男性だけでは限界があります。だから登壇者に女性を増やさなければならず、そうした企画を出すためには必然的にスタッフにも女性を増やすしかない。そういう必然性がないところで数合わせで女性を入れても、うまくいかないように思います。
とにかく金が回らないと会社は潰れちゃう。だから「この商品は売れない、次の商品をつくろう」と、みんな常に試行錯誤している。これは僕の言葉でいえば「訂正」の連続です。現実からのフィードバックです。訂正できない硬直した組織が存在できていることのほうがおかしい。まともに商売していたら常に訂正の連続のはずです。
ゲンロンの例でいえば、僕がもう会社をやるのが嫌になったので辞めるといったら、現在の代表取締役の上田洋子さんがやってくれることになった。まさに訂正ですが、結果的にそれが非常によかった。上田さんが女性だったことによってスタッフの多様性も出て、それがさらに登壇者やお客さんの多様性にもつながっていきました。
僕が代表であるかぎり、「僕による僕のための会社」なんですよね。それが変わって組織の風通しもすごくよくなった。世の中には、いまだにゲンロンは僕のワンマン会社だと思っている人がいます。彼らは「強い東浩紀」が好きでいまでも昔のままだと思いたいのでしょうが、それはもはや幻想です。実際、会社はどんどん「東浩紀ばなれ」しています。
古くからの支持者は大切です。でも残念ながら、見方を変えてくれない人もいる。だから組織が変わるためには、彼らを「裏切る」ことも必要になります。
古参の声に耳を傾けることが常によいこととはかぎらない。古い支持者は年を取っていますから声が大きい。ビジネスとしては彼らの顔色を窺いたくなりますが、そうすると組織の新陳代謝が起こらず出口がなくなります。期待を裏切れば批判も浴びるけれど、それは避けられないコストだと思わないといけない。古参支持者が喜ぶことをやり続けていると、組織として死んでしまうんです。