バブルへの認識はなぜ遅れたのか

小峰隆夫(大正大学客員教授)
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 日本経済は、1980年代後半、つまり昭和末期に世界史的な規模のバブルを経験した。『平成の経済』で読売・吉野作造賞を受賞した小峰隆夫氏がバブルを分析する。
(『中央公論』2025年1月号より抜粋)
目次
  1. 想像を絶するバブルの経済規模
  2. 生成と崩壊の背景

想像を絶するバブルの経済規模

 1980年代後半、日本の株価、地価などの資産価格は急騰し、90年代に入って一転して下落した。これがいわゆる「バブルの生成」と「バブルの崩壊」である。ただし、資産価格の変動が直ちにバブルにつながるわけではない。80年代後半には、経済的諸条件からは考えられないほどのレベルまで資産価格が上昇し、それが下落したからこそバブルだったのである。

 株価(日経平均株価、以下同じ)は、82年10月を底(7000円弱)に上昇し始め、89年末には3万8915円に達した。5.5倍以上もの上昇である。これがこの時のピークで、その後株価は下落し始める。

『日本経済新聞』は90年1月3日の紙面で、主要企業20社の経営者に年間の株価の高値と安値の予想を聞いているのだが、この時の高値で最も高かった予想が4万8000円、安値で最も安かった予想が3万6000円だった。実際の90年末の株価は約2万4000円だったのだから、この株価の下落がいかに多くの人の予想を超えるものだったのかが分かる。株価が89年末のピークを越えたのは、実に34年以上後の2024年2月であった。

 地価は1983年頃から上昇し始め、上昇が激しかった東京、大阪、名古屋圏は、91年までの地価の上昇幅が4.0〜4.6倍となった。その後、地価は大都市圏から順に下落し、底を打ったのは2012年以降であった。

 バブルの経済規模の大きさがいかに桁外れのものだったかは、GDP(国内総生産)統計の調整勘定を見ればよく分かる。調整勘定とは、株価や地価の変動によるストック金額の変化を計算したものであり、まさにキャピタル・ゲイン/ロス(資産の値上がり益/値下がり損)の大きさを表しているのである。

 この調整勘定を見ると、バブル期の1986年から89年にかけては、株価・地価の値上がりによって毎年340〜520兆円ものキャピタル・ゲインが発生している。これは名目GDP比で90〜140%になる。日本人全体が1年間で生み出した付加価値に等しいか、それを上回る値上がり益が実現し、しかもそれが4年間も続いたのだから、全く想像を絶する大きさだと言える。そしてバブルが崩壊すると、今度はキャピタル・ロスが発生し、1990〜2005年の合計で名目GDPの2.6倍程度のロスが生じている。

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