八月十五日以後、小林秀雄の「沈黙」と「戦後第一声」①
小林秀雄の戦争と平和
平山周吉(ひらやま・しゅうきち)

「僕は無智だから反省なぞしない」――戦後の小林秀雄は、このあまりにも有名な発言にはじまる。しかしその前、敗戦からの半年間、彼が何を考えいかに過ごしたのかは知られていない。年譜の空白部分を書簡や日記などから明らかにし、批評の神様の戦後の出発点を探る。
「無智な」自分と「利巧」な君達
そもそものきっかけは、横浜の神奈川近代文学館の展示で、立て続けに小林秀雄の書簡を見かけたことだった。二〇二三年秋の「没後30年 井伏鱒二展」で一通、十二月の常設展「文学の森へ」でもう一通、ともに昭和二十年(一九四五)に書かれている。後者は、敗戦からまだ半月も経っていない八月二十七日付けだ。話の都合上、こちらを先に紹介しよう。
小林の「戦後第一声」としては、「近代文学」同人から呼ばれての座談「コメディ・リテレール 小林秀雄を囲んで」(「近代文学」昭和21・2)が余りにも有名である。「僕は政治的には無智な一国民として事変に処した。黙って処した。それについて今は何の後悔もしていない」といい、「僕は歴史の必然性というものをもっと恐しいものと考えている。僕は無智だから反省なぞしない。利巧な奴はたんと反省してみるがいいじゃないか」と啖呵を切った。本多秋五、埴谷雄高、荒正人ら「近代文学」に集結した左翼の秀才たちの前で、モロ肌出して凄んでいるといった趣きがある。「無智な」自分と「利巧」な君達を対比させ、「反省なぞ」「たんと反省」といった、突き放した、ぞんざいな口語調が効いている。埴谷の後年の証言によれば、それらは現場で小林が発した言葉ではなかった。
「それは、小林さんは座談会のときは言ってなくて、あとで書いたものなんだよ。だいたい小林さんは座談会の原稿は全部書き直して、はじめの言葉は一つもないくらいだよ」(大岡昇平との対談集『二つの同時代史』)