村上陽一郎 原子力は「絶対悪」か「優等生」か
原子力に代わる発電源の検討
旧電力会社も手をつかねているわけではない。例えば、東京電力と中部電力が共同出資した新会社JERAは、脱炭素社会時代の火力発電を目指した取り組みを行っている。その将来は注目すべきだろう。
他方、新規参入の発電企業は、旧電力会社に比べれば圧倒的に小資本だから、経費がかかる原子力発電を試みる能力はない。現在多くは所謂自然エネルギー、つまり太陽光、風力などに依存している。
言うまでもないが、こうした自然エネルギーと呼ばれるものは、常時定まった出力を保証されているわけではない。従って、発電と同時に蓄電も併せて考慮しなければならない。蓄電池の性能は、最近飛躍的に向上しているが、それでも、それで万事解決というわけにはいかない。
現政権が二〇五〇年までの目標として掲げている開発戦略では、洋上風力発電に最も大きな期待をかけているように見える。二〇一九年に洋上風力普及法が施行され、秋田沖、千葉県銚子沖など幾つかの地域を指定して、開発を促す計画と思われる。またNEDO(国立研究開発法人新エネルギー・産業技術総合開発機構)は、二〇一三年に銚子沖に新型の洋上風力発電施設を整備して、いわば実証実験を行っている。確かに、陸上の風力発電に比べれば、騒音を含む環境への悪影響は小さいと思われ、スウェーデンなど、この分野での先進圏の経験を参考にしながら、今後開発努力を重ねるべき領域ではあろう。しかし、それが救世主になるかといえば、恐らく難しかろう。
もう一つの期待は水素である。しかし、この選択肢にも大きな壁がある。一つはコストである。安全面も加えれば、簡単に乗り越えることができないようなハードルであろう。そこで、政府がどうしても付言しなければならないのが原子力、ということになる。
〔『中央公論』2021年3月号より抜粋〕
1936年東京都生まれ。東京大学教養学部卒業、同大学大学院人文科学研究科博士課程修了。東京大学教養学部教授、同先端科学技術研究センター長、国際基督教大学教養学部教授、東洋英和女学院大学学長などを歴任。『ペスト大流行』『死ねない時代の哲学』など著書多数。