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内田麻理香 復興庁HPから消えたトリチウムのゆるキャラと「欠如モデル」

内田麻理香(科学技術社会論研究者)
復興庁HPより
 復興庁がチラシや動画で放射性物質トリチウムを「ゆるキャラ」化していた問題を、科学技術社会論研究者の内田麻理香さんが、「欠如モデル」という概念を使って読み解く。
(『中央公論』2021年6月号より)

 東京電力福島第一原発事故の後、増え続ける処理水が問題となっていたが、政府は四月十三日に、この処理水を海洋に放出する方針を決定した。その同日に、復興庁はトリチウムをかわいらしい「ゆるキャラ」のようなキャラクターで表現したチラシや動画をインターネット上に公開した。しかし、この公開直後から被災地やインターネット上で批判が続出し、復興庁は次の日にはチラシや動画の公開を中止することになった。

 復興庁は、処理水による風評影響を抑制するためには、処理水の安全性等について、科学的な根拠に基づく情報を発信することが重要と考えたため、イラストを用いてわかりやすく説明しようとしたという。イラストでやさしく説明することが風評被害を抑えることにつながるのだろうか。

 このように、科学に関するようにみえる問題があった際、人びとの科学的知識を増やすことで解消できると考えることは、科学コミュニケーションでは「欠如モデル」と呼ばれる。欠如モデルとは、人びとが科学を受容しなかったり、科学について不信を抱いたりするのは、人びとの科学的知識の欠如が原因だから、人びとの科学的知識を増やせば問題は解消するはずだという想定を指す。

 この欠如モデル的な発想は、科学の問題に限らず、知識の多い者が持ちがちである。例えば、私はアニメ『機動戦士ガンダム』が大好きなわけだが、『ガンダム』を知らない人にもその知識を伝えれば、『ガンダム』の魅力は理解されるに違いないと思ってしまう(こともあった)。実際は、ある人が『ガンダム』を観て知識が増えたとしても、その人がハマるかどうかは別である。

 これを、絵画やスポーツなど自分の趣味に置きかえてみれば、皆さんも思い当たることがあるかと思う。このような趣味の押しつけは比較的害が少ないものだが、この欠如モデル的発想に基づくと思われる活動は世の中にあふれている。

「トリチウムをキャラクターにしてわかりやすく説明すれば、風評被害の問題は解消する」という発想の背後にあるのも、欠如モデル的な前提であると推察できる。ここで、私が「欠如モデルという概念ぐらい知っておけば、このような失敗にはならないのに」というように、欠如モデルという知識を振りかざして、思わず上から目線で考えてしまうのもまた、欠如モデルの落とし穴である。

 さて、トリチウムのキャラクターで丁寧に科学的に説明すれば、本当に処理水に関する問題は解消するのだろうか。

 トリチウムのキャラのかわいらしさに惹かれて、処理水をめぐる事柄に興味を持つ人はゼロではないだろう。しかし、既に処理水の問題を注視している人びとは、基本的な科学的知識はある場合が多いと思われる。処理水について不安を抱く者の中には、政府や東京電力のこれまでの行動に対する不信が背景にある場合もある。科学への不信ではなく、政治や企業への不信だ。

 今回に限らず、安易な欠如モデル的押しつけで解決しようとするケースには、科学とは関係なく政治で解決すべき問題を抱えているパターンが多いことに留意したい。

 このキャンペーンは、「処理水放出を不安視する者は、基本的な科学も理解できない愚かな人びとである」というように、世間の批判の矛先を変える効果もあるだろう。科学の範疇ではない問題を、「わかりやすく科学的に説明」したところで、何も解消されるものではない。

 

(『中央公論』2021年6月号より)

内田麻理香(科学技術社会論研究者)
〔うちだまりか〕
東京大学教養学部特任講師。博士(学際情報学)。専門は科学コミュニケーション、科学技術社会論。著書に『科学との正しい付き合い方』『面白すぎる天才科学者たち』など。