平山亜佐子 断髪とパンツーー男装に見る近代史 武州秩父郡 仲次郎とお亀の場合
明治から昭和初期にかけて伝えられた男装に関する記事を取り上げ、それぞれの事情や背景を想像する「断髪とパンツ」。
今回は、1884(明治17)年6月15日付読売新聞に掲載された「奇縁昨日の続き」という記事を取り上げる。
ちなみにこの記事、3日にわたって報道されているうちの3日目だが、冒頭にあらすじが付いているので概要は掴めるかと思う。
まずは見てみよう。
(旧かな旧漢字は新かな新漢字に直し、総ルビを間引き、句読点や「」を適宜付けた)
無事に育てん其為〈そのため〉に男の姿に身を窶〈やつ〉させ
○九十九夜通いし人の足強〈あしづよ〉や見初めて余〈われ〉は腰を抜かすに と詠みし人も有りて、恋には誰も迷うが習い。取分け仲次郎は去年〈こぞ〉の春、岩殿山〈いわどのさん〉の観音にて逢いしお亀に深く想いをかけ、全〈まる〉一年が其間〈そのあいだ〉思い続けて、翌年の観音詣を託〈かこ〉つけに岩殿山に赴きて、待てど暮らせどお亀は来ず。
其〈その〉うち日脚〈ひあし〉は西に傾き暮掛〈くれかか〉りしに望みを失い、スゴスゴ帰る途中にて茶店へ立ち寄り休んで居ると、折ふし其処〈そこ〉を通り掛った十六七の美少年は此処等〈ここら〉に見馴れぬ芸人風にて、田舎廻りの役者らしく男女が付き添い行くを、よくよく見れば去年の今日途中で逢ったお亀なれば、ハッとはしたが左〈さ〉あらぬ体にて、偖〈さて〉は世間の噂に違わず男で有〈あっ〉たか嬉しやと其〈その〉まま家へ立ち戻り、何でも彼〈あ〉の子を貰いたいというに両親も得心して、人を以てお亀の許へ其趣〈そのおもむ〉きを言い入ると、又始ったと両親は其言訳〈そのいいわけ〉に当惑したが、左〈さ〉りとて包みも成り兼て、真実〈まこと〉お亀は女に非ず、戸籍面は亀太郎とて男子で有ると話せしに、夫〈それ〉は素〈もと〉より承知にて、先の息子がいろいろと心を砕いて問合せ、いよいよ男と知ったうえ御相談に参りしなりと言うに、此方〈こなた〉は大きに化転〈けてん〉し、まだお目に掛らねど其仲次郎という人はなかなかの利発者にて、読書〈よみかき〉などもお出来なさると或る人が聞きましたが、左様〈そう〉いう息子のありながら倅を呉〈くれ〉ろと仰有るは何とも合点が参りませんと、不審そうに問い掛〈かく〉れば、仔細をお知りなさらぬゆえ其御不審は道理ながら、 実は彼〈あ〉の仲次郎は此方〈こちら〉の息子さまと同様、無事に育てん其為〈そのため〉に男の姿に身を窶〈やつ〉させ、男の様にして居れど実は女で有りますと言うに、主人〈あるじ〉は驚きしが、左様〈そう〉いう事なら仔細なけれど、困る事には一粒種にて嫁を取るべき者なれば、 此方〈こちら〉へ迎え取るは格別婿養子には上げられませぬと言うは、実〈げ〉にもと其由〈そのよし〉を仲次郎の両親に語ると、然〈さ〉らば此方〈こちら〉は妹も有れば、仲をば先へ嫁にやらんと更に其由〈そのよし〉を言い込むと、先方でも承知してお亀の婿に仲次郎を呼び入れ、其実〈そのじつ〉亀太郎の嫁に三つ程年上のお仲を呼び迎える事になりしは、 去る明治十四年五月中の事なりしが、サア左様〈そう〉決った上は男に粧〈つく〉って居るは不都合と、お仲は急に大髻〈おおたぶさ〉の男髷〈おとこまげ〉に入毛〈いれげ〉をして 島田に結えば、亀太郎はまた髪を切って散髪〈ざんぎり〉となり、袖を詰めて人形の明〈あき〉を縫塞〈ぬいふさ〉ぎ、目出たく婚礼をした後は双方とも唯の男女に少しも変わりし様子は無く、軈〈やが〉て昨年の秋、お仲は女の子を産落したが生憎死んで生れたに亀太郎の両親は落胆〈がっかり〉し、其後は何と無く家内の折合いが悪く、先月初旬〈はじめ〉とうとう離縁に 成ったを、或る人が仲へ入り此程〈このほど〉漸く再縁が調〈ととの〉いて、先ずは目出たし。