平山亜佐子 断髪とパンツーー男装に見る近代史 武州秩父郡 仲次郎とお亀の場合

第四回 武州秩父郡 仲次郎とお亀の場合
平山亜佐子

車夫が出会った偽男〈にせおとこ〉

 2年後の1886(明治19)年3月24日付読売新聞には不思議な男装者の記事が出ている。
 曰く、京都の伏見街道を下ったところで人力車の車夫が屯〈たむ〉ろしていた。
 すると「年の頃は二十四、五歳、散髪にして色白く立派な洋服を着てカバンを下げた」人物が現れ、「大津より汽車に乗り大坂まで行こうとした所、一足違いにて乗り後〈おく〉れ是非なくここまで歩行〈ある〉いては来たが賃銭さえ安くば大坂の手前、橋本駅まで乗りましょう」と言う。
 車夫は1円50銭で話をつけて出発したが、客は伏見や淀の立て場(街道沿いの休憩施設)に寄るたびに酒を飲み、車夫にもつけてくれる。
 最近にない豪儀な客だと喜んで走り明るいうちに橋本に着いたが、まだ早いからもう一宿、もう一宿と進み、日暮れになった。
 車夫は家族が心配するから帰りたいと言ったが聞き入れられず、ふたりで宿に逗留することになったが、客が着替える姿を見て女性だとわかってしまう。
 帰りたがる車夫に客は「何を隠そう私は女ながら、チト仔細ありて男に扮〈いでた〉ち居〈お〉れど、決して気遣いな者に有らねば、今宵は泊まって明日帰るがいい」と言って引き止める。
 そしてさんざん酒を飲まされ、結局泊まることになった。
 翌朝4時にそこをたち、8kmほど走ったところで降りた客は「私は夜が明けて大坂へ着きては少し都合が悪いゆえ是より少し寄道〈よりみち〉をして行きましょう」と言い、カバンから札を出して紙に包んで渡してきた。
 帰宅した車夫が中を見ると1円札が10枚も入っていたという。
 記事は「其偽男〈そのにせおとこ〉は果たして何者なるか今以て分からぬとは怪有〈けう〉な話しで有ります」と締められている。

 人目を避けて夜間に行動する偽男は何か人に見られたくない事情があるのだろうが、そのわりに洋服とカバン姿とはなかなか派手である。
 なにしろ上流階級が礼服でダンスを踊った鹿鳴館が建設されたのはたった3年前の1883(明治16)年のこと、法律家の菊池武夫が1887(明治20)年に洋服店で作った三つ揃いの背広は28円、当時の東京の公立小学校教員の初任給(5円)の約5ヶ月分と高価なものだった。
 街中で洋服を着ているのは軍人、警察官、駅員など制服の人々だったが、実は服制の改正で用済みになった徽章などを取った元制服などが古着屋に安価で並んでいたという(『洋服・散髪・脱刀 : 服制の明治維新』)。
 もしかしたら見慣れない洋服の方が性別の違いに気がつかれないという偽男なりの考えがあって、古着屋で買い求めたのかもしれない。
 妙に金廻りが良く、追われる身の偽男は大泥棒か詐欺師か、はたまた上流階級の家出娘か。
 140年経っても謎は謎のままだ。
 

参考文献
「奇縁」1884(明治17)年6月13日付読売新聞
「奇縁昨日の続き」1884(明治17)年6月14日付読売新聞
「奇縁昨日の続き」1884(明治17)年6月15日付読売新聞
「偽男」1886(明治19)年3月24日付読売新聞
刑部芳則『洋服・散髪・脱刀 : 服制の明治維新』講談社、2010年
森永卓郎監修『物価の文化史事典』展望社、2008年

平山亜佐子
挿話蒐集家/文筆家
1970年、兵庫県芦屋市生まれ。エディトリアルデザイナーを経て、明治大正昭和期のカルチャーや教科書に載らない女性を研究、執筆。著書に『20世紀 破天荒セレブ:ありえないほど楽しい女の人生カタログ』(国書刊行会)、『明治大正昭和 不良少女伝:莫連女と少女ギャング団』(河出書房新社、ちくま文庫)、『戦前尖端語辞典』(左右社)、『問題の女 本荘幽蘭伝』(平凡社)、『明治大正昭和 化け込み婦人記者奮闘記』(左右社)がある。なお、2011年に『純粋個人雑誌 趣味と実益』を創刊、第七號まで既刊。また、唄のユニット「2525稼業」のメンバーとしてオリジナル曲のほか、明治大正昭和の俗謡や国内外の民謡などを演奏している。
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