単行本『無常といふ事』がやっと出る(三)

【連載第十三回】
平山周吉(ひらやま・しゅうきち)

「歴史のぬきさしならぬ意志」を重く見る安吾

 安吾は小林の「政治嫌い」に反応している。「政治嫌い」については、本連載第九回で記したように、「新夕刊」創刊号に載った随筆「政治嫌ひ」と、同様の趣旨を述べた「近代文学」の座談会がある。安吾はいずれかで読んだのだろう。この後に来る話題から類推すると、「近代文学」のほうらしい。そこで小林は「政治家には一種の人間のタイプ」があり、「常に管理したり、支配している」と述べていた。安吾「堕落論」の引用を続ける。

「この戦争をやった者は誰であるか、東条[英機]であり軍部であるか。そうでもあるが、然し又、日本を貫く巨大な生物、歴史のぬきさしならぬ意志であったに相違ない。日本人は歴史の前ではただ運命に従順な子供であったにすぎない。政治家によし独創はなくとも、政治は歴史の姿に於て独創をもち、意欲をもち、やむべからざる歩調をもって大海の波の如くに歩いて行く」

 安吾はここで小林に反撥し、「政治」と「歴史」の関係に話を進める。この部分は小林発言で一番有名になった箇所を受けている。「この大戦争は一部の人達の無智と野心とから起ったか」という小林に対して、安吾は東条英機や軍部という「一部の人達」の野心もあったが、それ以上に「歴史のぬきさしならぬ意志」を重く見る。小林が「僕は歴史の必然性というものをもっと恐ろしいものと考えている」と言うのに近い。少なくとも小林が嫌悪した「お目出度い歴史観」でないことは明らかだ。ここから先は、小林と安吾は意見を異にする。数行省略して、「堕落論」の引用をさらに続ける。

「私は天皇制に就いても、極めて日本的な(従って或いは独創的な)政治的作品を見るのである。天皇制は天皇によって生みだされたものではない。(略)......その存立の政治的理由はいわば政治家達の嗅覚によるもので、彼等は日本人の性癖を洞察し、その性癖の中に天皇制を発見していた。(略)すくなくとも日本の政治家達(貴族や武士)は自己の永遠の隆盛(それは永遠ではなかったが、彼等は永遠を夢みたであろう)を約束する手段として絶対君主の必要を嗅ぎつけていた」

1  2  3  4  5  6