単行本『無常といふ事』がやっと出る(三)

【連載第十三回】
平山周吉(ひらやま・しゅうきち)
吉本隆明
「僕は無智だから反省なぞしない」と語った小林秀雄の戦後の始まりとは。
敗戦・占領の混乱の中で、小林は何を思考し、いかに動き始めたのか。
編集者としての活動や幅広い交友にも光を当て、批評の神様の戦後の出発点を探る。

小林に触発された坂口安吾「堕落論」

 書評や時評という形ではなく小林の『無常といふ事』に反応した文士もいる。たとえば坂口安吾だ。安吾は翌年には「教祖の文学――小林秀雄論」(「新潮」昭和226)で小林を批判した。そこで引用されるのは「当麻」「無常といふ事」「西行」[「文學界」昭和171112]などであり、小林秀雄批判=『無常といふ事』批判であった。イチャモンをつけられているのは、「美しい「花」がある、「花」の美しさという様なものはない」であり、「生きている人間なんて仕方のない代物だな。何を考えているのやら、何を言いだすのやら、仕出かすのやら」である。「文学的出家遁世」だとカラんだ。その安吾の出世作「堕落論」(「新潮」昭和214)はよく読むと、小林批判というか、小林に触発されて書かれている。「堕落論」では、特攻隊の生き残り、戦争未亡人といった同時代人が語られるが、知人として固有名詞が出るのは、小林秀雄と大井広介の二人しかいない。

「小林秀雄は政治家のタイプを独創をもたずただ管理し支配する人種と称しているが、必ずしもそうではないようだ。政治家の大多数は常にそうであるけれども、少数の天才は管理や支配の方法に独創をもち、それが凡庸な政治家の規範となって個々の時代、個々の政治を貫く一つの歴史の形で巨大な生き物の意志を示している。政治の場合に於て、歴史は個をつなぎ合せたものではなく、個を没入せしめた別個の巨大な生物となって誕生し、歴史の姿に於て政治も亦巨大な独創を行っているのである」

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