前統合幕僚長が語る、安全保障環境の大変化

吉田圭秀(前統合幕僚長)×神保 謙(慶應義塾大学教授/国際文化会館常務理事)
神保 謙氏(左)、吉田圭秀氏(右)
 防衛大学校以外の卒業者として初めて自衛隊制服組トップである統合幕僚長を務めた吉田圭秀氏。厳しさを増す日本の安全保障環境をどう見ているか。国際政治学者の神保謙氏が聞く。
(『中央公論』2025年12月号より抜粋)
目次
  1. 「防衛外交」が欠かせない時代
  2. この3年で世界は大きく変わった

「防衛外交」が欠かせない時代

神保 本日は貴重な機会をありがとうございます。ご退官後、メディアに登場されるのはこれが初めてだそうで、たいへん光栄に思います。

 吉田さんが統合幕僚長に就任されていた期間は2年4ヵ月。就任直前の2022年12月に作成された「国家安全保障戦略」、いわゆる安全保障3文書では「日本は今、戦後最も厳しく複雑な安全保障環境の下にある」という認識が示されました。在任中はまさに世界史的な大転換点だったように思います。その変化をどのように見ていましたか。


吉田 本題に入る前に、ちょっと「始球式」を。

 国際政治学者の故・高坂正堯(まさたか)先生の著書『国際政治』によれば、国家は「力の体系」「利益の体系」「価値の体系」の三つの体系からなっていると。現在の国際安全保障を繙(ひもと)く上で、これは非常に重要な視座だと思います。実は統幕長時代に元上司の谷内(たち)正太郎初代国家安全保障局長から教わり、この話をいろいろな方にご紹介したのですが、特に欧州の方は強い賛同や関心を示されました。本日も、この三つの体系については随所で取り上げたいと思っています。

 それから、私は39年4ヵ月におよぶ自衛官としての日々の中で、最も充実していたのが最後の統幕長時代でした。その所感としては、大きく三つあります。

 一つ目は、グローバルな安全保障観が欠かせないということ。我々はとかく中国、北朝鮮、ロシアを注視し、そして米国を見て安全保障を考えるのがお決まりでした。しかし今や欧州、中東、インド太平洋の国際情勢は強く連関しています。そのグローバルな安全保障観で地域を位置づけないと、各国のカウンターパートである参謀総長等との対話が実りあるものにならないのです。

 二つ目は、リアリズムの重さ。典型例を挙げると、この2月にNATOとインド太平洋の一部の参謀総長等とオンライン会談をしましたが、今、欧州は米国からの「見捨てられ」懸念を抱えています。それからウクライナについて、欧州にとっては地政学的バッファーゾーンであり、けっして失うわけにはいかないのですが、それはロシアにとっても同じこと。今以上にNATOに対する戦略縦深を失うことは、ロシアには耐えられない。まさに地政学的バッファーゾーンをめぐる争いになっているわけです。

 三つ目は、「防衛外交」の時代に入ったということ。私はこの2年4ヵ月の間に、40ヵ国以上、100名以上の参謀総長等と計250回ほど対談をしてきました。だいたい3日に1件のペースです。米軍の統合参謀本部や戦略軍、インド太平洋軍、サイバー軍などとはもちろんですが、日米韓、日米豪印、日米豪比、それに日豪印尼(インドネシア)といった組み合わせもありました。NATO加盟国とも頻繁に会ってきました。

 それはまさに、先ほどご指摘の「戦後最も厳しく複雑な安全保障環境」の下で不可欠だったからです。その中で強く感じたのは、参謀総長同士の「信頼関係(トラスト)」こそが防衛協力の源泉になるというこ
と。これは私の最大の財産でもあります。

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