改定は爆弾を投げつけたようなもの
そもそもUnityは、「ゲーム開発を民主化する」という主張を展開して人気を獲得してきた。
彼等が使う"民主化"という言葉が嘘であることは今となっては明白だが、どこかに「Unityが善き人々達によって運営されていてほしい」という期待や甘えが、筆者にもあったのかもしれない。
Unityユーザーの一人として、あらためて率直な感想を言えば、今回の決定は裏切られたような気持ちでしかない。それは、そもそもこのライセンスの主張に正当性が感じられないからだ。
これまでは開発者数に応じたライセンス料を払えばゲームは、作り放題だった。学生はもちろん、年売上10万ドル以下の個人も無料で利用できた。企業は企業で、開発者一人あたり年額27万円で使えた。Unityの機能性を考えたら、これは破格の安さである。
数ある選択肢のなかからUnityを選択した人々の動機の大半は、価格だっただろう。この低価格が開発者たちの人気を集め、エコシステムを盛り上げてきた。
なので、今回の改定は数十年かけて築き上げてきた開発者コミュニティに爆弾を投げつけるに等しい。実際、既に多くの開発者は抗議活動をしたり、早急に別のゲームエンジンへの移行を検討している。
プラットフォーマーが大切にするべき存在とはユーザーであり、今回の件ではゲーム開発者である。どうしてもこれまで以上に利益を上げたいのであれば、別の方法を模索するか、やはり開発者らともっと話し合うべきだった。
開発者側だって儲かっていたのであれば、「Unityの使用料は安すぎる」と思えたはずだし、より有用な機能を提供して付加価値を高めるという方法もあるはずだった。
もっとも本件で問題なのは、提供する価値が変化していないにもかかわらず、開発者たちのエコシステムの変更を強要しているところである。
民主主義の国に移住したと思ったら、突如として一夜のうちに独裁国家に変わっていたようなショック。それを世界中の開発者が受けたのだ。