そもそもAIは民衆のものだった
いろいろな企業がChatGPTを企業業務に導入すると発表している。しかし実は、ChatGPTは有料版であっても、同じIPアドレス(同一の建物やネットワーク設備)からのアクセスを制限している。
たとえば、一つの事業所にいる100人の社員が、同時に使おうとすればまともに機能しないはずだ。お金を払っているのに、訳のわからない制限が課せられていることになる。
要は、現状では大企業であればあるほど、実際にはChatGPTに課金してもその性能を発揮できない、ということになるだろう。
そもそもAIは民衆のものだった。誰にも邪魔されることなく、自分の思うプログラムを書けばよかった。
急速に高度化したことで個人がおいそれと作ることが難しくなったが、それでもオープンソースというのが原則であり、主要な特許は既に期限が切れている。だから誰にでもチャンスがあるというのが本当に「民主的」と言えるところだ。
実際問題として、様々な研究所や企業体が真に「民主的」なAIを配布している。
GPTの性能に匹敵する、あるいはあるテストでは上回るようなAIも、無償で配布されるのが当たり前になってきた。
特に日本語に関しては、GPTもそれほど得意ではないので、日本語に特化したAIが国内のスタートアップやLINEなどの企業から次々と発表されるようになった。こうした動きは真の民主化を推進するが、逆に企業の利益にどう反映させるかはむずかしいところだろう。
スタートアップにとっては、自社の技術力をアピールするための宣伝、という位置づけだろうし、大企業にとっては人材獲得のためのアドバルーンと言ったところと思われる。