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「街に失業者があふれようがおかまいなし」ビッグテックがAI開発に全力を注ぐ真の理由とは..「貧富の差」「モラル」を無視して進む<人工知能民主主義>に希望はあるか

人工知能はウソをつく【最終回】
清水亮

儲けの源泉は本質的に<広告ビジネス>

なかなか広告がなくなる話にならない、と感じたかもしれない。しかし、この先、あらゆる文章も動画も、AIに生成させたほうが「より見たいものに近づく」と仮定すれば、局面は変わっていく。

そもそも広告は、野外広告から始まったとされる。それが、新聞や雑誌に掲載されるようになり、ラジオ広告が「発明」されて、テレビCMが発明された。その後、インターネット広告が90年代にはじまり、その主流がモバイル広告に移行したのが2010年前後。iPhoneとAndroidが普及した頃となる。

これらの広告の向かう先はすべて「消費者に近づく」ことにあった。

電車の中から景色を眺めれば交通広告が見える。テレビでドラマを見ようとすれば、CMを強制的に見せられるし、ウェブを検索すれば検索連動広告が出てくる。

広告を作る人たちにもプライドがあるのは分かっているが、それでも、あらゆる場所から消費者に近づこうとする広告は、おおむね邪魔な存在で、「広告のせいで商品そのものが嫌われる」というリスクが同居する状況に置かれてもいた。先述した「偽広告」など、その際たる例だろう。

しかし、今ビッグテックがやろうとしていることは、実際には「新しい広告代理店」と「その専業下請け業社」に過ぎないのだ。

Googleで知りたいことを検索したら、Amazonの本の広告が出てくる。だからAmazonで本を買う。この過程の全てはAppleのiPhoneやiPad、macOSの中で完結している。

もちろんAppleをMicrosoftに置き換えてもこの話は成立する。とにかくそこにあるのは「代理店」「コンテンツアグリゲーター」「メーカー」の関係性である。

日本でいう、広告代理店とテレビ局と電機メーカーの関係が、そのままGoogleとAmazonとAppleの関係にあてはまるというとわかりやすいかもしれない。もしくはFacebook(およびInstagram)、Twitter(x.com)、Googleは「代理店」、Amazon、note、mediumは「コンテンツアグリゲーター」、Apple,Intel,GoogleのAndroid事業は「メーカー」などと捉え直せば、すっきりするだろうか。

各社の事業領域が、旧来の広告代理店などと異なっていたり、逆にビッグテックの面々の間の業務領域で被る部分が多々あったとしても、儲けの源泉は本質的に<広告ビジネス>にある。だからこそ、ビッグテックは急いで「広告の次」のモデルを模索しているのだ。

儲けの源泉は<広告ビジネス>にある。だからこそ、ビッグテックは急いで「広告の次」のモデルを模索している(写真提供:PhotoAC)

実用的なAIが出現すれば、この関係は必然的に変化する。

その関係の変化を踏まえ、各社がとった戦略が形になったものの一つが、Microsoft(OpenAI)とGoogleが作った「会話するAI(ChatGPT/Gemini)」「ユーザーの思考に近づく」という動きで、AppleやFacebookがとったのが「ユーザーの視覚と聴覚を奪う」という形での動きなのだろう。

いずれにせよ、変化に対応するには「早急に」「他者よりも良い」「新しいビジネス構造」を創出する必要がある。

そう考えれば、Facebook(Meta)のAI研究所であるFAIRが、自社のAIを積極的にオープンソース化しているという動きにも一定の納得感がある。

これは、異なる戦略を持つGoogleとMicrosoftの「AI囲い込み」に対抗し、彼らの優位性を牽制・無価値なものにするために、積極的な「類似するAIのオープンソース化」を進めたのではないだろうか。

最近は、AppleもFacebookと同じくAIをオープンソース化する戦略に切り替えてきたのを考えると、「思考に近づく」派閥と「肉体に近づく」派閥での共闘関係と捉えることもできるかもしれないが。

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