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小林「武蔵」の「放言」と、大岡「老兵」の復員(上)

【連載第四回】
平山周吉(ひらやま・しゅうきち)

「僕にはそんなお目出度い歴史観は持てないよ」

「カー問題」を収拾したのが本多だったように、「近代文学」の座談会でも、本多が一番の引き出し役になっていた。小林の「利巧な奴はたんと反省してみるがいい」発言を導き出したのも、本多の質問だった。本多は小林の昭和十五年(一九四〇)の講演録「文学と自分」(『歴史と文学』に所収)の大野道賢と吉田松陰の死に際の「自由」に「同感」を表明しながら、聞き始める。

「戦争に対する小林さんの発言から見て、日本がこんなになっているのに、この戦争が正義かどうかというようなことをいうのはどうだとか、国民は黙って事態に処した、それが事変の特色である、そういうことを眺めているのが楽しい、あとは詰らぬ、という風におっしゃったのですが、事変を必然と認めておられたんですね」

 昭和十四年(一九三九)の「疑惑Ⅱ」(『文学2』に所収)の一節を引いて、あなたの戦争協力的な事変認識に変更はないかと念を押したのだ。小林の返答(書き直し原稿)は有名だが、全文を以下に引く。

小林 僕は政治的には無智な一国民として事変に処した。黙って処した。それについては今は何の後悔もしていない。大事変が終った時には、必ず若しかくかくだったら事変は起こらなかったろう、事変はこんな風にはならなかったろうという議論が起る。必然というものに対する人間の復讐だ。はかない復讐だ。この大戦争は一部の人達の無智と野心とから起ったか、それさえなければ、起らなかったか。どうも僕にはそんなお目出度い歴史観は持てないよ。僕は歴史の必然性というものをもっと恐しいものと考えている。僕は無智だから反省なぞしない。利巧な奴はたんと反省してみるがいいじゃないか」

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