小林「武蔵」の「放言」と、大岡「老兵」の復員(上)
【連載第四回】
平山周吉(ひらやま・しゅうきち)
GHQによって削除された小林発言
もとの小林発言では何としゃべっていたのか。「近代文学」同人は証言を残していない。小林のこの啖呵、いや、問いかけは、その場限りの放言ではない。小林の「歴史」観が語られている。昭和が百年目になり、戦後が八十年となったいま、日本人に課された小林からの「宿題」だと、私には思える。
この発言部分は昭和二十二年(一九四七)五月に、『世代の告白――転形期の文学を語る』(真善美社)に再録された時に、そっくり削除された。『世代の告白』は、「近代文学」に連続して掲載された蔵原惟人、中野重治、小林、宮本百合子との座談会を集めた本である。小林のこの発言部分はGHQの検閲によって「削除」された。『世代の告白』では、「本多」の発言の次にまた「本多」の発言が続くという、不恰好な体裁になっている。占領下日本では、「言ってはならない」言葉と認定された。
雑誌「近代文学」に掲載された時には、検閲を通ってはいた。小林の座談会が載った号で、検閲を通らなかった作品がある。原民喜の小説「原子爆弾」である。原は同人の佐々木基一の義兄で、八月六日には故郷の広島にいて被爆した。「近代文学」が時事を扱う雑誌とされたので、事前検閲の「内閲」の段階で、「何処かの個所を削除したら好いという性質のものでなく、全体として検閲に通りがたいという口上をつけて返されてきた」(埴谷「「近代文学」創刊まで」)。「原子爆弾」は「夏の花」と改題され、事前検閲の必要がない「三田文学」(昭和22・6)に発表となった。小林の座談会は、そうした曰く付きの号であった。