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小林「武蔵」の「放言」と、大岡「老兵」の復員(上)

【連載第四回】
平山周吉(ひらやま・しゅうきち)

「放言」はその場限りではなかった

「近代文学」の次号で、本多秋五は前号の小林座談会について触れている。

「座談会の速記に出ていない部分で、彼は、「終戦を聞いた時、涙が出たよ、それから後、けろっとしているよ。」といったので、皆んな笑った」

 大佛次郎が終戦の日の日記に書き留めた小林の感想に近い、小林の実感だった。この発言は、座談会が終わっての帰り際だろうか。座談会の終わりに、平野謙から「今日はお忙がしいところをほんとうに有難うございました」と型通りの挨拶がある。小林は答える。「いや、僕は忙がしくないよ。忙がしいのは今日だけなんだ。また来るよ」とフレンドリーに応じた。しかし、一連の経緯に気づいた後に読み直すと、小林は座談会の後に、あらかじめ用件を入れておき、座談会が長引かないように警戒していたのではないか、とも読める。緊張はとけて、一条寺の決闘は一段落した。

 小林が「近代文学」で発した言葉は、けっしてその場限りの「放言」ではなかった。小林は自らの「放言」にたびたび言及する。吉田満の手記が「軍艦大和」として、娯楽雑誌「サロン」(昭和246)に原型をかなり損なう形で発表された時に書かれた「正直な戦争経験談」が、最初だろうか。

「僕は、終戦間もなく、或る座談会で、僕は馬鹿だから反省なんぞしない、悧巧な奴は勝手にたんと反省すればいいだろう、と放言した。今でも同じ放言をする用意はある。事態は一向変らぬからである。/反省とか清算とかいう名の下に、自分の過去を他人事の様に語る風潮は、いよいよ盛んだからである。そんなおしゃべりは、本当の反省とは関係がない。過去の玩弄である。これは敗戦そのものより悪い。個人の生命が持続している様に、文化という有機体の発展にも不連続というものはない」

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