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小林「武蔵」の「放言」と、大岡「老兵」の復員(下)

【連載第五回】
平山周吉(ひらやま・しゅうきち)

小林の手元にあった中原中也の遺稿

 中原の遺稿は、小林の手元にあった。「文學界」(昭和1212)の中原追悼では、遺稿の中から小林が、「桑名の駅」「少女と雨」「僕が知る」「無題」の四篇を選んでいる。追悼文を執筆した中には、島木健作、阿部六郎、草野心平、青山二郎、萩原朔太郎、河上徹太郎らがいた。小林は詩「死んだ中原」と小文「中原の遺稿」を寄せた。

 その後の遺稿の詳しい行方を、大岡は「遺稿処理史」(角川版『中原中也全集』別巻)で伝えている。遺稿は昭和十三年(一九三八)の夏に、山口の中原家に返却された。それがまた、戦争中に小林の所に戻った。昭和十八年(一九四三)に赤門書房から全集発行の計画があったため、原稿は小林の手元に戻されたのだ。全集の企画は頓挫した。中也から河上徹太郎に贈られた「ダダの手帖」というノートは別にあったが、昭和二十年五月の空襲で、河上の家と一緒に燃えてしまう。

 小林は手元の遺稿をなんとか守るべく、考えていたようだ。ある日、鎌倉の中村光夫の家に出入りしていた学生が、中村の紹介で小林の家を訪れる。飯田桃という変わった名前の学生は、府立一中、一高から東京帝大法学部政治学科に入った一年生だった(法律学科の同級には、平岡公威=三島由紀夫がいる)。飯田は中也の詩と小林訳のランボー『地獄の季節』の愛読者だった。飯田は後に作家、左翼評論家「いいだもも」となる。

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