「僕は無智だから反省なぞしない」――戦後の小林秀雄は、このあまりにも有名な発言にはじまる。しかしその前、敗戦からの半年間、彼が何を考えいかに過ごしたのかは知られていない。年譜の空白部分を書簡や日記などから明らかにし、批評の神様の戦後の出発点を探る。
大岡「私は思わず涙ぐんだ」
昭和二十一年(一九四六)の小林秀雄の姿が次に確認できるのは、静岡県の伊東市である。一月中旬に、大岡昇平が「モオツァルト」執筆中の小林を訪ねた。大岡は戯作風の小説「再会」(中公文庫『わが復員わが戦後』に所収。初出は「新潮」昭和26・11)で、その夜の小林を描いている。大岡昇平一等兵は、昭和十九年(一九四四)に三十五歳の「老兵」として召集された。昭和二十年一月に、フィリピンのミンドロ島で米軍の俘虜となり、十二月に妻子の住む兵庫県明石に復員した。両親の故郷である和歌山に住む姉を訪ねたりした後に、上京する。河上徹太郎、吉田健一、中村光夫など、かつての文学仲間に会う。小林は鎌倉の家には不在だった。温泉場の伊東には、「骨董鑑定の鬼才にして装幀の天才」Y先生(青山二郎)が住んでいた。Y先生と一緒にX先生(小林秀雄)の逗留する旅館に行く。
「帳場で待っていると、やがてX先生がよく滑る旅館の廊下を、摺り足でやって来た。真面目な顔であった。/「よく帰って来たね。助かってよかったなあ。ほんとによかった。ほんとによかった」/私が帰ったのを、こんなに喜んでくれたのは、妻のほかになかった。先生がこれほど喜んでくれようとは思いがけなかった。私は思わず涙ぐんだ」
それから例によって、酒盛りになる。X先生は言った。
「「君、一つ従軍記を書いてくれないかな」/と待望の話になった。「従軍記」には私は思わず吹き出した。私は本物の兵隊として行ったので、報道班員のように「従軍」したのではない。しかしX先生がそういうのも一理ないこともない。私はてんで戦う気はなかったのであるから、事実上従軍みたいなものである」