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小林「武蔵」の「放言」と、大岡「老兵」の復員(下)

【連載第五回】
平山周吉(ひらやま・しゅうきち)

東大生「いいだもも」が空襲から中也の遺稿を守る

「二十歳までが人生、といわれたその頃、私がいったいなにをこの世に残そうとしていたのかは、われながらあまり判然としないことですが、とにかくその一つとして、赤紙の来た私は、小林秀雄さんを鎌倉にはじめて訪ねて、中原中也の遺稿を風呂敷一包み借りうけ、その筆写に明け暮れていました。空襲で灰燼に帰してしまう確率をすこしでも少なくしようという殊勝な志のつもりでした。しびれる手を冷水にひたしながら書きついでいったあの初夏を、私はいささかなつかしく思い出します。まだ稚なかった私は、大人たちは「首が飛んでも動いてみせる」程度の覚悟はあるにはしても、空襲の時には中原中也の詩業などは打捨てて真先に逃げ出すにちがいない、と直観していたのです。格別人が悪かったわけではありません。それはそれで当然なのだ、と諦めていましたし、だけどおれはちがうんだ、と力んでもいたのでした。単純に言えば、私たちはどう講釈されようとも、どう説教されようとも、当時まだ無名の詩人だった中原中也の詩の一篇は〝聖戦〟の世界史的意義などに替えがたい、と信じていたのです」(いいだ「小林秀雄」『転形期の思想』に所収)

 戦時下の言論人・小林秀雄をかなりあてこすっているが、自分たちは「遅れて来た小林ファン」だったとも、いいだは言っている。いいだは中也の遺稿を友人の矢牧一宏(後に、都市出版社、出帆社を起こす)にも筆写を手伝ってもらった。コピーなどのない時代は、こうした情熱の助けを借りるしかなかった。いいだは小林から「中原の全集をつくらないか」とも言われた。いいだや矢牧が、遠藤麟一朗、吉行淳之介などと一緒に戦後に出した雑誌「世代」では、「創元」に続いて中也の未発表詩を掲載した(「世代」9号、昭和229)。『山羊の歌』が二百部、『在りし日の歌』が六百部だった中也に、いつのまにか若いファンがついたことは小林には嬉しかったろう。

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