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JFA(日本サッカー協会)会長の闘病、生還、そして今後「私もサッカーも五輪もコロナに負けない!」~田嶋幸三氏インタビュー

田嶋幸三

感染当事者からのメッセージ

─三月半ば、田嶋さんが新型コロナウイルス感染を実名で公表され、世の中に大きな衝撃が走りました。


田嶋》今にして思えば、感染したのはおそらくヨーロッパでだったのではないかと思います。二月末にイギリス・ベルファストでの国際会議に参加し、オランダ・アムステルダムへと移動しました。アムステルダムではちょうど二〇二三年女子ワールドカップ招致に関する重要な会議があり、ライバル国もプレゼンテーションする。私たちもプレゼンの機会を与えられていたし、キャンセルという選択はありえないと思いました。振り返れば、その時期のヨーロッパは今と全く状況が違っていて、町では誰一人マスクをつけていなかったし、平気で握手したりハグしたり。知人にハグされると「大丈夫かな」と多少の抵抗を感じなくもなかったけれど、拒めない。海外出張中、同行した日本人四名は必ず手を殺菌してから食事をし、部屋ではうがいや手洗いもしていたので、その時点での警戒感は欧州の人たちより高かったと思います。私はその後アメリカへ移動して女子の日本代表試合を見て、三月八日に帰国しました。思い返せばニューヨークの酒場もごった返していて、まさしく「三密」そのものでした。  一方、私がこの出張に出る直前の二月二十六日からJFA(日本サッカー協会)では在宅勤務を開始しています。というのは中国・武漢が深刻な状態となり、緊迫感が高まっていたからです。私自身はそれまでテレワークをしたこともないし、Web会議には正直、戸惑いはありました。「会議は顔をつきあわせてやるものだ」なんて思っていた人間ですから。ただ、この新型ウイルスの危険性を考慮すると、早い段階で在宅勤務に切り替えた方がよいと判断しました。後になってそれが正しい判断だったという結果になりました。


─ご自身の感染が発覚したのは、どのようなことがきっかけですか。


田嶋》三月八日、私が日本へ帰った直後にヨーロッパでは感染が一気に広がり封鎖状態になって、アメリカでも外出制限がかかり、あまりの急激な変化に本当に驚きました。私自身のことでいえば、JFAではすでにテレワーク体制にしていたため人に会うこともなく過ごし、体調の変化もありませんでした。  帰国から六日後、新しい会長を決める理事会があり、出席しました。会議終了後に少し疲労感と寒気を感じたため、今日は早めに就寝しようと寝床でネットニュースを見ていたら、「セルビアのサッカー連盟会長がコロナに感染」という報道を目にして、「待てよ、自分も同じ場にいたよな」と。すぐ医師である妻(土肥美智子氏。国立スポーツ科学センター勤務)に、同じ家の中にいながら携帯電話で相談し、妻は私が触ったドアノブなどを全て消毒して部屋で自己隔離できるようにしてくれました。家族とは直接すれ違わないように家の中の動線を分け、三食は部屋の外に置いてもらい、翌日三七・五度と微熱のある状態で保健所に電話して「同じ会議に出ていた人が発症した」と伝えました。指定された専門病院で検査を受けたら陽性で、そのまま入院でした。  医師に聴診器を当てられて肺炎と診断されましたが、息が苦しいといった症状も全くなかったからびっくりしました。何を言いたいのかというと、もし自宅で熱が下がっていたら、そのまま検査せずに動き回り誰かにうつしていたかもしれない、ということです。


─入院中はどんな思いでしたか。


田嶋》「どうかJFAがクラスターにならないでくれ」「一緒に海外出張に行ったメンバーに感染者が出ないでくれ」とひたすら祈る気持ちでした。自分の体の心配よりも他の人にうつしていないかが非常に気になりました。不幸中の幸いで協会内や海外に同行した人からも感染者は出なかったのです。  三月半ばまでの日本では、コロナに感染した人の名前はまだ一人も公表されていませんでしたが、JFA会長という公の仕事をしている以上、自分の名前を公表すべきだろうと。迷いはありませんでした。もちろん家族の同意が前提でしたが。ウイルス感染に対する警告メッセージになるとも思いました。


─ご家族も検査をされたのですか。


田嶋》僕が感染した時は「クラスター対策」の真っ最中で、単純に検査を増やすと陽性者でベッドが埋まり重篤な人が医療を受けられない、と予測されていました。妻は発熱も症状もなかったので、検査はせず二週間自己隔離することになりました。  その後、無症状者・軽症者をホテル等へ移す対処がとられるようになった。つまり局面が変わったんです。となればベットが満杯になる懸念も解消し、疫学的に考えても検査数を増やしていくべきだろうと。状況に応じて検査の仕方も変化する、ということだろうと思います。  保健所スタッフの過酷な仕事も目撃しました。私の場合は濃厚接触者が二〇名近くですみましたが、多い人は一〇〇名にも上り、一人一人コンタクトし対処方法を慎重に伝えていく仕事は非常に手間がかかる。それをきめ細かに的確に進めていく仕事に感銘を受けました。そうした現場の人たちを必要以上に疲弊させてはいけない。医療現場では防護服やマスクが不足していますが、院内感染対策が必要なことは、先んじて感染が拡大し医療崩壊した中国やヨーロッパから学ぶべきだった。なぜ日本は「子どもの宿題」のようにすぐに対応に乗り出せないのか。現場を見てきた当事者だからこそ、そこを強調したいと思います。  当事者として、もう一つ強調しておきたいことがあります。未知のウイルスが怖いというのは当たり前の感情です。私自身も再び陽性になるかもしれない。家に荷物を届けに来た宅配の人は、玄関の外にそっと黙って荷物を置いていく。「接触したくない」からです。そうした感情を当然のことと認めた上で、医療機関で感染リスクを背負いながら必死に患者に向き合っている医療従事者や関係者のことを想像してほしい。日本人はもっと、そうした人たちに敬意や感謝、応援の気持ちを持ってほしい。そして欧州では夜八時に医療従事者へ拍手を送るといった光景が見られますが、日本でも医療現場を応援する気持ちを届ける努力をしたい。医療現場を疲弊させてはならないし、崩壊を招いてはいけない。もちろん医療従事者やその家族への差別なんて絶対にありえないことです。

タフに闘うしかない

(中略)


─東京五輪開催延期を受けて聖火リレーは中止になってしまいましたが、出発予定地だったJヴィレッジ(日本サッカーのナショナルトレーニングセンター)は、福島第一原発事故に対応する最前線の拠点でしたね。


田嶋》東日本大震災からたくましく再生しつつある姿を世界へと伝える「復興五輪」、その象徴として聖火リレーのスタート地点にJヴィレッジが選ばれた時は、もう鳥肌が立つくらい嬉しかったんです。Jヴィレッジは個人的にも思い入れが強い場所で、選手の育成システム「JFAアカデミー」を創設した拠点でもあります。けれども聖火リレーの予定日の前に私自身が入院してしまったので「見に行けなくなった」とがっかりしていたら、五輪延期が決定し、全て仕切り直しになってしまった。もうこうなったら来年はさらにたくましく復興した福島を見せる、と気持ちを切り替えるべきでしょう。聖火リレーの再スタート地点はもちろんJヴィレッジに、と思います。


─日本オリンピック協会(JOC)副会長という立場から、五輪開催に向けての課題を教えてください。


田嶋》どの競技団体も「二〇二〇年の夏に最高のパフォーマンスを出す」ことを目指してコンディションを調整し、資金を投下してきました。一年延びたことにより、追加の強化資金をどこから持ってくるのかは大きな課題です。JOCの予算の大半は国から出ているので、山下泰裕会長が先頭に立ち、国やスポンサーに対して費用を捻出するための交渉を進めています。私も会長を全面的にサポートしていきます。一方、選手にとっては、練習や試合ができない時間が長くなるという問題があり、そのしわよせで今度は短期間に何試合もこなして疲弊する、といったことにならないよう、慎重に日程調整などをしていきたいと考えています。


─一年延びることで、再選考するのかどうか、選手の代表権をめぐる議論がありますね。


田嶋》意見はいろいろあるでしょう。全ての選手が納得する選考は難しいかもしれません。ただ、こんな危機だからこそスポーツの原点、五輪の原点をしっかりと見つめ直すべきです。日本はこれまで恵まれた環境下にあり、選手たちもベストに近いサポートを受けてきた。それは、この国が平和で安全で人々が健康だからこそ実現していたんですね。例えばアフガニスタンや中東などを見れば、国際紛争もあり政情不安もある。彼らはそうした環境下で必死に練習し国際試合に出てくるわけです。その過程はとても「平等」とは言いがたい。でも彼らは試合でベストを尽くして闘っています。そのように、私たちも激変した環境を現実として受け入れ、新たに設定された条件でタフに闘っていくしかないと思います。


─東日本大震災直後、なでしこジャパンの活躍が人々を元気づけました。コロナ感染危機に対して、スポーツができることは何でしょうか。


田嶋》東日本大震災はまさしく「日本の危機」でした。そして、今回のウイルス感染拡大は「世界的な危機」です。どの国の人も苦しんでいる。二〇二一年の五輪では、勝った選手も負けた選手も新型コロナに関する苦しいストーリーをそれぞれ背負っているはずです。だからこそ、危機に立ち向かい、打ち勝った姿を見せることが五輪のテーマであり、世界中のアスリートにとっての課題だと思います。ただし、楽観はできません。新型ウイルスについては判明していないことも多く、たとえ日本国内で収束したとしても、来夏に他国で蔓延していれば五輪は開催できないかもしれません。とにかく今できることにしっかりと最大限の力で取り組みたいと思います。  また、日本は治療薬の開発や供給、最新の治療技術や人工呼吸器などの医療機器の提供など、物的・人的貢献も含め、やれることはたくさんある。特に今後アフリカや南米などで感染が拡大していく恐れもあり、世界に向けて日本が貢献しなければならないでしょう。
(構成:山下柚実)


(『中央公論』2020年6月号より抜粋)

田嶋幸三
〔たしまこうぞう〕 1957年熊本県生まれ。筑波大学在学中に日本代表に選出。卒業後、古河電工入社。筑波大学大学院修士課程体育研究科修了。2001年U─17日本代表監督として世界大会出場。15年よりFIFA理事(カウンシルメンバー)。16年よりJFA会長。著書に『「言語技術」が日本のサッカーを変える』など。