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失われる習慣 共飲・共喫儀礼によって人類が確かめてきたもの

内田樹(思想家)

小津映画の重役たち

 小津安二郎の映画を見ると、丸の内の重役たちは昼食の時に当然のようにビールを飲む。「もう一本いかがですか?」という女将の誘いに「いや、まだこれからお勤めがあるから」と断っていたから、彼らは微醺を帯びて午後の「お勤め」をしていたわけである。

 確かに映画を見ている限り、重役たちははんこを捺すことと同僚や友人と雑談する以外にあまり仕事らしい仕事はしていないから、生酔いでも差し支えなかったのだろう。今なら「就業規則違反」で懲戒だろう。

 かつてあった「献酬」という習慣もなくなった。「お流れを頂戴」というあれだけれど、若い人はそう書いても意味がわかるまい。やはり小津の『麦秋』の一場面では、料亭の

一室で、上司(佐野周二)が部下(原節子)に「まあ、一つ」と言って自分の盃を差し出す場面がある。これなどは今の女性には最悪の「セクハラ」「パワハラ」案件にしか見えないだろう。

 煙草もそうである。一九七〇年代までの映画を見ていると人々はほんとうによく煙草を吸っていた。私の主観的な印象だが、戦争中と戦後すぐは人々の喫煙量がそれまでよりずいぶん増えたような気がする。誰かハリウッド映画を精査して、時代別に「ボディ・カウント」ではなく「スモーカー・カウント」をして欲しいと思う。一九四〇年代の映画でも男性たちはよく煙草を吸っていたが、やはり四一年に真珠湾攻撃があって、アメリカが第二次世界大戦に踏み入ってから一気に登場人物たちの喫煙量は増えたように思う。ハンフリー・ボガートの『カサブランカ』なんか、見ているだけで部屋が煙ってくるほどである。

戦争と煙草

 喫煙と戦争の間にはたぶん関係がある。一つはケミカルな理由。

 煙草は「ダウナー」であるから、喫すると気分が少しの間だけ落ち着く。戦争中というのは頭が熱くなるようなことが続く時期であり、かつ頭に血が上がって判断を誤ると生命にかかわる。だから、わずかなりとも気分を鎮める「薬剤」が手元にあるならそれを間断なく投与するのは生存戦略上合理的なふるまいである。

『プラトーン』や『地獄の黙示録』を見ると、六〇~七〇年代にベトナムに参戦した兵士たちはほとんど間断なくマリファナ煙草を吸っていた。特に「美味しい」と思っているわけではないだろう。目の前の現実があまりに不条理で絶望的なので、それに引きずり込まれると生きる意欲が萎える。それよりは少しでも「ハイな気分」になっておいた方が生き延びる確率が高いと判断したのだろう。AK47で頭を撃ち抜かれたり、地雷を踏んで吹き飛ばされる方が肺癌で死ぬより確率的に高い場合には、三〇年後の健康に配慮するようなことをふつうの人はしない。

 戦争と喫煙の関係その二つ目は、煙を吐き出すことで、自分が生きていると確認できたということである。やはり小津の『風の中の牝雞』に、長く外地にとどめおかれ、ようやく復員してきた男(佐野周二)が妻(田中絹代)に「煙草を買ってきてくれ」と頼む場面がある。妻が銘柄を訊ねると、男は寝転んだまま「何でもいい。煙のたくさん出るやつ」と答える。私は二十代のときにはじめてこの映画を見て、この一言がずしんと腹に応えたのを覚えている。戦地から生きて家族のもとに戻り、自分の五臓六腑が機能していることを確認するために男は「大量の煙を肺から吐き出す」ことを求めたのである。

 私が二十代の頃、世の中が政治闘争で荒れていた時期があった。ある時、東京の郊外で国鉄の業務を妨害するという学生たちのデモがあった。何が目的だったのか忘れたけれど、ベトナム戦争の時だから、たぶん米軍の物資運搬への反対闘争だったのだろう。線路に坐り込んでいたら、夜半から雨が降って来て、そのあと機動隊に蹴散らされて痛い思いをした。明け方に濡れそぼってデモに参加した学生たちが三々五々最寄りの駅まで歩いていた時に、隣を歩いていた学生に「煙草ある?」と訊いたら「ああ」と言って一本差し出してくれた。私が持っていたマッチで二人の煙草に火を点けて、黙ってしばらく歩いた。その時にもし彼が複数の煙草を所有していて、好みの銘柄を訊ねられたら(そんなことあるはずないが)、きっと「なんでもいい、煙のたくさん出るやつ」と答えたような気がする。どうしてかはわからないが。

 今の例から知れるように、煙草と酒は例外的に「見ず知らずの他人からもらうことができるもの」である。居酒屋のカウンターで煙草を切らした時に、隣に座っている見知らぬ人に「一本頂けますか?」と言うと、だいたい黙って煙草を差し出してくれた(昔の話である。今は店が煙草を吸わせてくれない)。親切な人はライターで火まで点けてくれた。

 煙草そのものは固体だが、吐き出す煙は気体だからである。気体は本質的に私有になじまない。それは「コモン(共有物)」として観念されている。太古的な信憑である。

分割できないものを共有する

 酒もそうで、これは今でも旧習がかろうじて残っているが、宴席でビールや燗酒を飲みたくなったら、まず隣の人の盃に注いで、相手が「あ、気が付きませんで」と言ってビール瓶や徳利を持ち直して自分の盃に注いでくれるのを待つというのが「本式」である。人に飲むペースを決められるのは嫌だ、オレは自分のビール瓶から飲みたい時に自分で注ぐというようなハードボイルドなことを言う人がたまにいるけれど、それは「共飲儀礼」というものの本質をわかっていない人間の言い草である。

 共同体を立ち上げるための「共飲儀礼」「共食儀礼」を持たない社会集団は存在しない。その時に「共有されるもの」として選択されるのは「分割できないもの」である。液体と気体は分割できないから、この儀礼においては「コモン」として特権的な地位を占める。

 旧い漢字に「觚」「觳」「觴」「觗」などがあるが、どれも「さかずき」と訓ずる。動物の角は古代において身の回りに見出すことのできるもっとも「尖ったもの」であった。わざわざそれで「さかずき」を作ったのは、角でできた食器は下に置くことができないからである。自分の手を自由にしようと思ったら、「さかずき」は誰かに手渡すしかない。酒は共飲すべきものであって、私有になじまないということを古人は「さかずき」の形態を通じて教えたのである。

 北米先住民が煙草の共喫儀礼を持っていたことは西部劇を見た人は誰でも知っている。それが儀礼の素材に選ばれたのは、気体は分割することができないからである。分割できぬものを共有するためには、共同体をかたちづくるしかない。だから共飲・共喫の儀礼は「友愛」の儀礼として機能したのである。

 デオドラント社会というのは要するに「他人と気体を共有したくない」という欲望が過剰に亢進してしまった社会のことである。うるさく「パーソナルスペース」を言い立てるのも、「おまえの吐いた空気をオレに吸わせるな」とか言うのも、いずれも「分割し得ぬものを共有する儀礼を通じて共同体を基礎づける」という、長い人類史にわたって続いて来た習慣が失われたことの徴候である。

 喫煙という習慣も、隣の人の盃に酒を注ぐ習慣も、たぶん遠からず終わるだろう。イギリスで「コモン(共有地)」が終わったのは十九世紀の「囲い込み(エンクロージャー)」によってである。村の共有地を資本家が買い上げて私有地にして、土地の生産性を上げることを資本主義が要請したのである。歴史の流れに逆らえずに「コモン」を失った村落共同体は解体し、農民たちは没落して、「鉄鎖以外に失うものを持たない」都市プロレタリアになり、産業革命に安価な労働力を提供して資本家たちを喜ばせた。

 コモンの喪失は資本主義の要請である。衆寡敵せず。土地であれ、空気であれ、水であれ、他者とものを共有するのは「嫌だ」という人間が資本主義社会においてマジョリティを構成してしまった以上、私たちにできることはもうない。この世の中でこれから先、人々はいったいどのような儀礼によって他者との友愛と「分割し得ないもの」の共同所有を基礎づけるつもりなのか、私にはわからない。そんなものは要らないと言うのなら、どうぞご勝手にと言う他ない。

 

〔『中央公論』2020年9月号より〕

内田樹(思想家)
〔うちだたつる〕 1950年東京都生まれ。東京大学文学部仏文科卒業。東京都立大学大学院人文科学研究科博士課程中退。2011年哲学と武道研究のための私塾「凱風館」開設。『私家版・ユダヤ文化論』(小林秀雄賞)、『日本辺境論』など著書多数。最新刊は内田るん氏との共著『街場の親子論』。神戸女学院大学名誉教授。