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韓流ドラマ「愛の不時着」に見る韓国・北朝鮮女性のリアル

春木育美(早稲田大学韓国学研究所招聘研究員)
 第三次とも第四次とも言われる韓流ブームを引き起こした「愛の不時着」。
 中公新書『韓国社会の現在』著者の春木育美さんが、この大ヒットドラマの時代性に注目した『中央公論』12月号の原稿のうち、前半部分を掲載する。

コロナ禍の日本で話題

 二〇一九年に韓国で放映されたドラマ「愛の不時着」は、新型コロナウイルスの感染拡大で外出が制限された今年、日本でも話題となった。財閥令嬢で上場企業トップのユン・セリが、パラグライダー事故で北朝鮮に不時着し、偶然出会った北朝鮮軍将校のリ・ジョンヒョクと恋に落ちるという筋書きだ。もう一つのラブストーリーとして、北朝鮮に逃亡してきた韓国実業家の男性ク・スンジュンと、ロシア留学帰りのチェリストの北朝鮮女性ソ・ダンとの悲恋も描いている。主役はもちろん、脇を固めるキャラクターの高い演技力や魅力と相まって、韓国のみならず、日本でも多くの視聴者を釘付けにした。

「愛の不時着」は、二〇〇八年に実際に起きた事件がモチーフとなっている。プレジャーボートで遊んでいた有名女優が急な天候悪化で三八度線を越えて漂流し、北朝鮮警備艦の追撃を受けた事件である。女優は韓国海軍に救助されたが、こうした海上事故はたびたび起きている。ヒロインがパラグライダーで非武装地帯に不時着する設定は、実際に北朝鮮軍の特殊戦部隊がレーダーに感知されにくいパラグライダーを利用して潜入訓練をしたという情報から着想を得たという。

「愛の不時着」の見どころの一つは、北朝鮮を舞台にした前半部分だ。ジョンヒョクが暮らす北朝鮮の村の生活ぶりが、のどかで田園的に描写される。炭でおこした火で調理をする。共同洗濯場で衣服を洗い、大勢で集まりキムチを漬ける。停電は日常茶飯事で、室内で自転車を漕ぎ自家発電をしてテレビを見、蝋燭の灯りで夜を過ごす。韓国ドラマを視聴し、市場では韓国製の高級化粧品やアロマキャンドルまで手に入る。とりわけ、世話好きでおせっかいな村の女性、純朴で情に厚い兵士の姿がドラマでは実に生き生きと描かれており、等身大の北朝鮮の人々への親近感やエンパシーを抱かせる。

 脱北者に綿密な取材を重ねただけでなく、平壌演劇映画大学で学び、最高指導者の身辺警護などに当たる護衛司令部での勤務経験を持つ脱北者の作家が脚本の執筆に参加したことで、ドラマのリアリティが増している。韓国での初回放送では、北朝鮮を美化しているとの批判が起きたが、製作陣は徹底した考証を重ねたと抗弁した。また、北朝鮮を刺激しないよう、核開発や人権抑圧など政治的問題を連想させる描写は避けたという。

 ドラマ放映後、脚本家のパク・ジウンは、ドラマを通じて北朝鮮の文化を国民に伝え、南北統一教育に肯定的な影響を及ぼしたという功績で、韓国統一部から表彰された。

 一方、日本では「愛の不時着」にみるフェミニズム要素を高く評価する向きがあり、興味深かった。例えば、「ミソジニー(女性嫌悪)や有害な男らしさがなく、安心して視聴できる」「男女の関係が対等で、固定的な性別役割にとらわれていない」「自分の才覚で稼ぐ女性を全肯定している」「主体的で自立した新しい女性像」といった声だ。

 これに対し韓国では、このドラマについてこうした視点からの論評はほとんどない。むしろ、日本で「愛の不時着」がフェミニズム要素のあるドラマと評価されていることがニュースになったほどだ。

 フェミニズム的な視点に注目した見方は、日本のドラマにおけるジェンダーの描かれ方への異議や違和感、不満が鬱積していることを逆照射しているともいえる。韓国ドラマの中に先進性を見出し、日本のメインストリームに対するカウンターカルチャーとして位置付けようとする意味合いもあるのかもしれない。

 また、「愛の不時着」では、主役の北朝鮮軍将校ジョンヒョクが、ヒロインのセリのために料理をする場面が実に丁寧に描かれる。例えば、お腹がすいたというセリのために、ジョンヒョクは粉をこねて手動の製麺機で麺を打ち、味噌スープ麺を作る。セリがエスプレッソを飲みたがれば、市場の商人に買い付けてもらったコーヒーの生豆を大釜で時間をかけて煎る。自家焙煎した豆を石臼で丹念にすりつぶし、ネルドリップで丁寧にコーヒーをいれる。セリの体調を気遣い、早朝に二日酔いに効く豆もやしスープを作る。

 これらのシーンに胸がときめき、心打たれたという女性視聴者が日本ではとりわけ多いのだが、そこに一種の理想の男性像を見るのは、もっぱらケア役割が女性に偏っていることに起因する。

南北の格差社会の縮図

 優れたドラマには、社会の有り様や世相を映し出す時代の鏡としての力がある。「愛の不時着」は、その一つであろう。こうした観点から、このドラマの時代性をいくつか指摘したい。

 第一に、南北で広がる社会的格差の縮図ともいえる設定だ。

 ヒロインのセリは若くして自分の名前を冠するブランドを立ち上げ、経営者として大成功した超富裕層の女性である。大財閥の家系に生まれ、「私のことを知らない人がいたら北朝鮮のスパイ」と言い放つほどのセレブだ。

 恋愛相手となる北朝鮮軍将校のジョンヒョクもまた、一介の将校ではなく、北朝鮮で絶大な権力を持つ北朝鮮人民軍総政治局長の御曹司である。スイス留学帰りの元ピアニストという特権階級だ。

 南北で〇・〇一%に過ぎない超上流階級の男女の物語であり、いくらファンタジーとはいえハッピーエンドで終わらせることができたのは、ふたりが持つ特異なバックグラウンドと無縁ではないと思われる。

 前述のようにドラマでは、もう一組の南北男女の悲恋も軸となっている。平壌の富裕層の娘でチェリストのダン。彼女もまた、平壌で最大規模のデパートを経営する母と政府高官である軍人の叔父を持つ、財力と権力をバックにつけた特権階級だ。彼女の相手となる韓国男性は、詐欺や横領を働き指名手配を受け、北朝鮮に高飛びしてきた青年実業家スンジュンである。「コッチェビ」と呼ばれる路上で暮らす北朝鮮の孤児に、かつての自分の姿を重ね合わせるほどの貧困から身を立てたスンジュンには、頼れる親もバックもいない。こちらのふたりの関係は、スンジュンが殺されることで悲恋に終わる。

 二組の愛の行方は、北朝鮮でも韓国でも、どのような親の元に生まれたかで、成功や恋愛、そして生死すら左右されるという究極の格差社会の実態を強烈に示唆している。

 南北で、格差や階級をめぐる問題は目新しいものではない。韓国では一九九〇年代まで格差を表す比喩は「兵役免除は神の子、防衛兵(今はなくなった自宅通いの短期兵服務)は将軍の子、現役兵は闇の子」だった。近年は親の資産により「金」や「銀」「銅」「泥」のスプーンといった、自分の立ち位置を自嘲する造語が使われる。セリはさしずめ「プラチナ」のスプーンをくわえて生まれてきた女性だ。

 一方、北朝鮮には「出身成分」と呼ばれる独自の階層制度がある。九〇年代後半以降は、ドラマに見るように非公式な経済活動で富を築く者が出現し、共産主義型の「平等社会」から自由経済が作用した「格差社会」への移行が始まった。金融業、不動産業、運輸業、製造業といった北朝鮮の非公式経済は、新興富裕層の資本が大きく関与している。自由経済が活発化することで、北朝鮮でも経済格差が広がった。

 ドラマは、北朝鮮の特権階級が住む家や生活ぶりと、地方の村の人々の生活水準との間には、同じ国とは思えないほどの格差があることを示していた。南北が共有する現在の社会問題は、こうした格差拡大や不平等の深刻さであろう。(以下略)

〔『中央公論』2020年12月号より抜粋〕

韓国社会の現在

春木育美

中公新書

春木育美(早稲田大学韓国学研究所招聘研究員)
〔はるきいくみ〕
韓国延世大学校大学院修士課程修了、同志社大学大学院社会学研究科博士課程修了。博士(社会学)。日韓文化交流基金執行理事。著書に『現代韓国と女性』『韓国社会の現在』、共編著に『現代韓国の家族政策』『韓国の少子高齢化と格差社会』『知りたくなる韓国』などがある。