伝統的な揉め事の収め方

時評2011
橋本 治(作家)

 先月は私事で失礼いたしました。先々月号の原稿を書き上げて、そのまま入院をしてしまいました。命に別状はないはずですが、変わらずに入院生活を続けております。

 することもなく病室のテレビを見ておりますと、成田屋の若旦那の事件であります。夜中だか夜明けの西麻布の会員制の店で、顔を殴られて大怪我をしたという。成田屋の若旦那はいささか腰の据わらないところのあるお坊ちゃんだから、「ああ、そんなこともあるのか」と思っていたら、次の日からテレビは海老蔵ニュースのオンパレードになり、事件の詳細やら真相やらをレポーター達が追うわ追うわ。なんかへんだなと私は思いました。

 昔の話ならいざ知らず、歌舞伎役者のスキャンダルなんてそうそう大騒ぎにはならない。歌舞伎役者が脚光を浴びる時は、若い女性タレントと結婚する時で、名門、セレブ、梨園の妻という輝かしさがつく。そうでもなければ、歌舞伎役者はマイナージャンルのスターだ。歌舞伎を見たことがない人間なんかいくらでもいる。「市川海老蔵Who?」であってもいいのに、梨園の名門市川宗家の御曹司、将来の歌舞伎界を背負って立つスターであると、この暴行だか殴打骨折事件の報道には、「この人は大物ですよ、大スキャンダルですよ」のフレームアップが登場する。

 歌舞伎役者のスキャンダルがそうそう表沙汰にならないのは、松竹という興行会社がこれを抑えてしまうからだ。歌舞伎を見ない世間はともかく、松竹にとってなによりも大切なのは歌舞伎だから、揉め事の火種は消してしまう。だから私は、海老蔵が入院した途端「会社はなにやってるんだろう?」と思った。

 二〇一〇年の四月に改装のため閉場した歌舞伎座公演のパンフレットには、「世界文化遺産である歌舞伎は一私企業である松竹が支えた」と胸を張って書いている。まことにその通りで、日本の歌舞伎役者はみんな松竹の傘下に収まり、歌舞伎を上演する国立劇場は松竹から役者を借りている。松竹という興行会社は江戸幕府みたいなあり方をして、松竹将軍家の下に大名小名の歌舞伎役者が顔を並べている。歌舞伎役者それぞれにマネージャーがいたって、全体を管轄するのは松竹なんだから、松竹の権限は絶対である。だからこそ「歌舞伎のあり方を歪めたのは松竹だ」と言う人もいる。しかし松竹将軍家に今やそれだけの力があるのだろうか? 「あの人は会社の言うことを全然聞かないんだ」という役者も出て来てしまったらしい。事態収拾に松竹がなかなか乗り出して来ないから、私なんかは「歌舞伎座がなくなると松竹もやる気をなくしちゃうのかな」なんてことを思ったが、でもやっぱりやってくれました。

 金屏風の前で社長が「無期限謹慎」を言いわたす。本当に歌舞伎みたいでよかったな。その記者会見の様子を見て、「芝居がかっている」とか「嘘臭い」と言う人もいるが、はっきり言って、そう思う人は黙っているべきだ。あの会見は「無期限謹慎」という処分を受けた歌舞伎役者のもので、真実を探るものじゃない。鑑賞するものだ。

 金屏風の前に海老蔵が座っているのを見て、私は『仮名手本忠臣蔵』四段目の判官切腹を思った。神妙で伏目がちで、一時間以上あの海老蔵がそうした態度を崩さずにいることに感心した。

 今度の事件は、言ってみれば『忠臣蔵』の松の間である。違うのは、高師直にいじめられて刃傷に及ぶはずの塩谷判官が、師直に喧嘩を売って逆襲に遭ったというところだろう。事の筋目を正すために、塩谷判官は塩谷判官になっていてほしい。海老蔵の芝居はラフで野性的で生煮えのところがある。荒事だけやってりゃいいという訳ではない。しかし、金屏風の前に出て来た海老蔵は、無期限謹慎ショックで内省的になる能力を身につけたらしい。

 私としては無期限謹慎処分の解けた海老蔵の塩谷判官で忠臣蔵が見たい。由良之助は団十郎で。きっといいぞ。

 今回の騒ぎで一番重要なことは、市川海老蔵という才能のある役者の将来を守ることで、それ以外はない。松竹はそうやって歌舞伎を守って来た。歌舞伎役者のスキャンダルに、真実も事実もない。スキャンダルが起こったら、嘘をついてでもないことにしてしまえばいい。例の尖閣諸島の問題で、菅内閣に国家管理の能力があるかと言われたけれど、組織の力や組織の役割を無視して、個人にすべての責任を押し付けるのは愚かだと思う。国家や会社の権力は、守るべきものを守る責任と裏腹になっているべきだ。

(了)

〔『中央公論』2011年2月号より〕

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