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「伊達直人」というコードネーム

橋本治(作家)

 始まりは、「伊達直人」を名乗る人物が年末に、年が明ければ小学校の新一年生になる児童養護施設の子供達に向けて、新品のランドセルを幾つも贈って来たことだった。時しもそれは十二月二十五日のクリスマスの日のことだったので、ニュースとしては「心温まるサンタクロース・ネタ」として処理されるのがふさわしいようなものだったが、「伊達直人」というのが、マンガの主人公であり、アニメの主人公であり、更にはフィクションの世界から飛び出して実在するプロレスラー、タイガーマスクの本名だったところから、かなり違った方向に進んでしまった。

 それは「サンタクロース的な贈り物」とは無縁の「伝説のヒーローからの贈り物」になり、やがては「タイガーマスク現象」と言われるようになる匿名のプレゼントは正月を過ぎても続き、マスコミも、実際にタイガーマスクを演じていたプロレスラーに「あなたはこの件になにか関係がありますか?」というコメントを求めなかった。つまり、「伊達直人」という本名を持つタイガーマスクは、フィクションの中に生きるヒーローとして独り立ちをしてしまうのだ。私なんかは、「慈善の世界にまでコスプレが進出して来たのか」と思った。

「伊達直人」を名乗って児童養護施設にプレゼントをする行為に、コスプレの色彩があったことは確かだろう。だからすぐに「矢吹丈」や「星飛雄馬」を名乗るプレゼンターも登場するが、「いかなるキャラクターなら児童養護施設にランドセルを贈ってしかるべきか?」ということは、結構難しい問題であったのかもしれない。「矢吹丈や星飛雄馬がそれをするか?」と考えると、なんだか違う。『巨人の星』なら花形満の方がふさわしい気がする。「最初の伊達直人」以来、日本中に数多くの匿名プレゼンターが現れ、様々な名乗り方をしたが、結局は「伊達直人を名乗るのが穏当」というような落ち着き方をしたのも、「養護施設に育ち、覆面のプロレスラーとなり、それでもまだ養護施設の子供達のために善をなす伊達直人」という『タイガーマスク』の設定が、匿名のプレゼンターの名乗りには妥当だったということだろう。タイガーマスクや伊達直人のなんたるかは、「伊達直人のプレゼント」を報ずるニュースが教えてくれるから、タイガーマスクと自身を同一視する深い契機がなくとも、「伊達直人を名乗れば、社会に対して善をなすことが出来る」という理解が広がったのだろう。「タイガーマスク現象」と言われるのは、実は「伊達直人現象」で、「伊達直人」は「実体のない、慈善のためのコードネーム」のようなものになったのだろう。

年末に「最初の伊達直人」が登場した時、「その匿名の主は、六十歳前後の人間ではないか」という推理も登場した。『タイガーマスク』のマンガもアニメもとうの昔に終わっているから、若い世代の人間にはこの名を持ち出す理由はないというところから出た推理だが、「六十歳前後」に該当する私は、「え?!」と思った。

 雑誌に『タイガーマスク』の原作マンガの連載が始まったのは、一九六八年だった。その年に私は二十歳で、「伊達直人六十歳前後説」というのは、「その当時に二十歳だった人間が現在何歳になっているか?」という計算から出ていることになるが、今から四十年以上前の『タイガーマスク』が当時の二十歳の人間を熱狂させるものだったとは思えない。当時の二十歳の人間のためなら『あしたのジョー』や『巨人の星』があった。そこに登場した『タイガーマスク』は、もっと素直な小中学生向けのマンガだったと思う。だからこそ、それから四十年以上もたって「現実社会の慈善」として実体化してしまうナイーヴさを持ち合わせているのだろうと思う。

 そもそも昔のマンガやアニメは、いっぱしの口をきく「若者」なんかを対象にしていなかった。「小学生の間までなら、マンガを見ても許されるが、中学生になったらマンガから離れなければならない」という不文律のようなものがあった。中学生は「大人と子供の境目」で、いつの間にかこれが崩れた│マンガから離れた中学生が大学生になって、再びマンガを手にしていた。それが起こったのが『タイガーマスク』の登場した一九六〇年代末で、「伊達直人現象」のなんだかよく分からない感じも、大人と子供の境目のなさに由来しているんじゃないかと、私は思う。

(了)

〔『中央公論』2011年3月号より〕