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日本人にとって天皇とは何か

《第一回》いまなぜ天皇論なのか
田原総一朗(ジャーナリスト)

小学校五年生の八月十五日

 私は、小学校の六年生以来、六〇年以上「天皇」問題にこだわりつづけてきた。天皇とは日本人にとってどのような存在であるのか、ということである。天皇は日本の歴史上いかなる存在で、現在の私たち日本人にとってどのような存在であるのか。後期高齢者になったいま、これまで溜め込んできた疑問、問題点などに、私なりに行った取材で知り得た限りを総動員して取り組みたいと思う。

 私が子供の頃、もっというと小学校五年生の夏休みまで、天皇はそれこそ日本人にとって絶対的な存在であった。現人神であった。

 私が小学校一年生(私が入学した年から小学校は国民学校となった)の一九四一年(昭和十六年)十二月八日に、大東亜戦争(敗戦後、占領軍の指令で「太平洋戦争」と呼ばれるようになった)が勃発した。国民学校で式典が行われるときは、必ず講堂の正面の奥に昭和天皇の御真影が掲げられていた。私たちは教師たちから、「天皇陛下のお顔を見ると目が潰れる」といわれ、御真影の額の下の縁から上には目線を上げなかった。もちろん、こっそりと天皇の御尊顔を拝してはいたが。教師も校長も、たまに来賓で来る市長なども、「今回の戦争は、侵略国家であるイギリス、アメリカ、オランダなどを打ち破る聖戦であり、君たちも二十歳に達したら天皇陛下のために戦って死ね」とくり返し強調した。

 二年生、三年生になると、同じ町で少なからぬ人々が軍隊に召集されて出征した。誰もが「天皇陛下に召された、天皇陛下のために戦うのだ」と決意を述べ、私たち見送る側は、「天皇陛下万歳」を声一杯に三唱した。また、当時私たちは学校でも家でも"天皇陛下のために戦う""天皇陛下のために死ぬ"といった歌を何種類も歌わされた。もちろんいまでも全部覚えている。

 ところが五年生の夏休み、一九四五年(昭和二十年)八月十五日に日本は戦争に負けた。昼に玉音放送があると聞き、私の家にはラジオがあったので、近所の人々六〜七人と一緒に玉音放送を聞いた。放送は、雑音が激しくて肝心の天皇の話をよくは聞きとれなかったが「堪ヘ難キヲ堪ヘ、忍ヒ難キヲ忍ヒ」などという言葉は現在でも覚えている。玉音放送後、近所の人々の捉え方は「戦争は終わったのだ」「いやまだ続く、天皇はその決意を述べられたのだ」と二つに割れたが、午後になって市役所の人が「戦争は終わったのだ」とメガホンで報せにきた。もちろん日本は敗戦、無条件降伏をしたのであった。......

〔『中央公論』2012年1月号より〕