老いゆく国のめでたくない現実

増税、給付カットにどこまで耐えられるか
土居丈朗(慶應義塾大学教授)×菅原琢(東京大学准教授)

行き詰まった"ネズミ講"におぼろげな危機感

土居 昨年、国立社会保障・人口問題研究所が出した日本の人口の将来推計によれば、六十五歳以上の人の割合=高齢化率は、二十一世紀半ばには四〇%近くに達します。そうなったときにどうするか。たとえば移民の受け入れだとか、社会的な大きな決断が必要になるのでしょうけれど、それ以前のいわば「中途半端な時期」に、今差し掛かっている。若者が本当にいなくなってしまってどうしようもない、というところまで追い詰められてはいないものの、少子高齢化は確実に進み、二〇二〇年代半ばには団塊の世代が七十五歳以上になる。年金に加え、医療費や介護の費用が大きく膨らむことは確実なのです。

 にもかかわらず、その財源が十分確保されているわけではない。老後はお金だけでは語れませんが、お金がなければ老後の生活は成り立ちません。今、やらなければならないことがある......という話をすると、「そんなことはわかっている」と返されそうですが、あえて言えば、事ここに至っても、多くの日本人が本当の深刻さをもってこの問題を捉えているか、私は疑問に思っています。

菅原 私が中学、高校に通っていた一九九〇年代には、世界に例を見ないほど少子高齢化が進展していると教えられた記憶があります。それ以前から状況は明確に認識されていたはずです。それにもかかわらず、課題を先送りしたままズルズル来てしまった。

土居 日本の年金制度は、若い人たちからお金を集めて、高齢者の面倒を見る・ネズミ講・だったわけです。昔は「お前らも歳を取ったら養ってもらえるのだから、若いうちは我慢しろ」という論理で押せたけれど、団塊ジュニアより後の世代は、そのつけ回しの仕組みに気づいてしまった。年金保険料の未納率の高まりに象徴されるように、もう先輩の言うことは聞きたくない、という気分になりつつある。現状をましな方向に変えようというのではなく、消極的な抵抗みたいなことになっているのは、由々しき事態だと思います。

菅原 二〇一〇年六月の同じ日に、『朝日新聞』と『読売新聞』が世論調査で消費税増税について聞いたとき、結果が大きく異なっていて話題になったことがありました。前者が賛成・反対拮抗していたのに、後者では二対一で肯定意見が多かったのです。財政再建や社会保障制度の維持といった目的が質問文に含まれていたことが、『読売』で肯定派が多くなった原因でした。

 つまり、多くの国民は日本の財政や年金などの社会保障制度に対し、おぼろげな危機感は持っているわけです。だから問題意識を喚起させる聞き方をすると、「この状況だと仕方ないよな」と増税に肯定的になる。

土居 結局今までは、給付カットも増税もどちらにも手を着けず、先送りしてきました。もういかんともしがたいということで、今度の「税と社会保障の一体改革」がまとまり、さらには消費税アップが決まったかというと、そういうわけでもない。政府は一応そんな説明をしますが、たとえば野田前総理だって、政治家のライフワークとして消費税増税を訴えてきたわけではない。

〔『中央公論』2013年6月号より〕

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