生まれてくる子どもの視点で考える
子どもが欲しいというのは、自然の思いだ。普通はなぜ、などと深く考えるものではないだろう。しかし、もしもこれから不妊治療を始めるなら、ぜひその前に一度夫婦で「どうして子どもが欲しいのか、子どもがいなかったらどうなるのか」ということを考えてみてほしい。
不妊治療はお金もかかるし、母体の負担も大きい。そして、すぐにうまくいくとは限らないから、挫折感を乗り越えなくてはいけない。始まってしまうとゆっくり考える機会もなくなってしまう。
たとえば、どうしても自分たちの遺伝子を受け継いだ子どもが欲しいのか......ということも考えてみてほしい。
僕を育ててくれた両親は僕の実の親ではない。実の両親は離婚して、僕は養子に出された。岩次郎という父、ふみという母が育ててくれたおかげで、僕は生きることができた。そうやって養子をとるという手だってあるはずだ。
親が育てられなくなった子どもを引き取る里親制度ももっと知られていいと思う。最近、里親になろうという人が少なくなっていると聞く。里親がいなければ、子どもたちは施設に入ることになる。里親になって、そういう子どもたちを受け入れて育てる、という生き方はどうだろう。子どもに未来を与えることもできるし、自分たちもやりがいや生きがいを見つけられるかもしれない。
たとえば、障害のある子が生まれたら、と考えてみたことはあるだろうか。
以前、海外でこんなことがあった。夫婦が自分たちの精子と卵子を使って体外受精型代理出産(いわゆる借り腹)を試みた。ところが、このお腹を借りた女性がエイズで、結局子どもにも感染してしまったのだ。人工授精の前に、感染症の検査をしていたのだけど、検査を受けたのが潜伏期だったので分からなかったのだ。出産してみたら、その女性は発症していて子どもも感染していた。この夫婦は契約違反だということで赤ちゃんの引き取りを拒否。お腹を貸した女性も拒否したので、結局その子は施設に入ったそうだ。
生殖医療で授かった子どもは、健康で元気に違いない、と思い込んでいないだろうか。お金を払ったのだから、約束通りのものが手に入って当たり前と考えていないだろうか。命というのは、そんなに簡単なものではない。感染症の子どもが生まれることもあるし、心臓に穴が開いているかもしれない、ダウン症で生まれるかもしれない......。本来は、そういう子どもが必死に生きようとしている姿を見て、お父さん、お母さんもだんだん強くなっていくものなのだ。
〔『中央公論』2014年4月号より〕