苅谷剛彦×橘木俊詔 オックスフォードの面接試験とフランスの哲学試験 ――入試大混乱時代のエリート教育論(上)
日本における形式主義的「公平」観
苅谷 僕は、むしろ日本での入試に対する「公平」という考え方が、そもそもおかしいと思っています。日本の公平はいわゆる形式主義なんですよ。試験の形式を同じ条件にすることだけが問題となって、それ以前やそれ以降の不平等には目をつぶる。
今回も英語の民間試験活用では受験機会の公平性が問題になっていますね。離島や僻地に住む受験生に不利といったことが議論されていますが、それはイギリスではまず問題にならないです。
橘木 フランスでもならないですね。英米仏、どこでも問題にならないと思います。
苅谷 英米仏では、それ以前の階級や人種の問題のほうが重要で、それらに関する公平性の確保を何とかしようと政策が介入します。イギリスなら、たとえばある地区に貧困層が多く人種的にも宗教的にもマイノリティが多いとなったら、そこの人たちの教育をなるべく支援しようという政策がとられます。人種や階級といった個人の属性に目が向けられているのです。
日本では、奨学金は出すけれども、所得や階級に関する公平性に政府が介入して、政策的に子どもたちの学力を保証するといったことはしませんよね。不思議なことに、日本で問われるのは個人間の平等ではなく、地域間の平等です。個人の差は表に出してはいけないというのが日本社会の原則ですから、個人ではなくある単位ごとに平等にするというやり方が日本ではとられます。まさに形式主義的な公平性の考え方だと思いませんか。
橘木 個人を突出させないというのは、日本の特徴ですね。フランスでは逆に、できる子はとことん優遇しようという雰囲気があります。
ベストセラー『21世紀の資本』の著者、トマ・ピケティは今やフランスを代表する経済学者ですが、彼は十六歳でバカロレアを取得し、十八歳で名門グランゼコールのエコール・ノルマル・シュペリウール(高等師範学校)に入学、二十二歳の若さでPh.D.を取得しアメリカの名門大学MIT(マサチューセッツ工科大学)の助教授に就任しています。そういうことができるのは、エリートは飛び級、飛び級で上に上がっていけるシステムがあるからです。ピケティのような早熟な才能を開花させるのに、フランスのエリート主義が果たす役割は大きいと思いますよ。
構成:田中順子
〔『中央公論』2020年3月号より〕
苅谷剛彦
教育改革を前提から問い直してきた論客が、コロナ後の教育像を緊急提言。オンライン化が一気に加速したが、格差や「知」の面から本質的な問題をはらむという。オックスフォード大で十年余り教鞭を執ったからこそ伝えたい、地に足を着けた論議のための処方箋。
1955年東京都生まれ。東京大学大学院教育学研究科修士課程修了、米ノースウェスタン大学大学院博士課程修了。Ph.D.(社会学)。東京大学大学院教育学研究科教授を経て2008年より現職。『大衆教育社会のゆくえ』『オックスフォードからの警鐘』『追いついた近代 消えた近代』『コロナ後の教育へ――オックスフォードからの提唱』など著書多数。
◆橘木俊詔〔たちばなきとしあき〕
1943年兵庫県生まれ。大阪大学大学院修士課程修了、米ジョンズ・ホプキンス大学大学院博士課程修了。Ph.D.(経済学)。仏米英独での研究職・教育職を経て、京都大学教授、同志社大学教授、日本経済学会会長を歴任。現在、京都女子大学客員教授。『日本の経済格差』『"フランスかぶれ"ニッポン』『大学はどこまで「公平」であるべきか――一発試験依存の罪』など著書多数。