国宝からランドセルまで。救出・復旧から被災地の復興が始まる
思い出の品々を拾う人々
二〇一一年の東日本大震災で津波の被害を受けた、宮城県の太平洋岸の町でのことだ。海岸に打ち寄せられた家屋の柱や家具などの瓦礫の山から、写真やランドセルを拾い集め、泥を落とし、持ち帰る人がたくさんいた。人々が自分や家族の存在を証明する品々を探す、印象的な光景だった。
自分と直接関係のある出来事や思い出を探し出すという行為、そして、個人の思い出を保存するという行為は、文字通り個人的なものである。日本では法律上、私的なことに税金を投入して支援するのは、普通ではあり得ない。
しかし、最近の災害の発生現場では、環境省や警察といった行政機関が、「思い出の品を残す」という作業を積極的に推し進めている。
東日本大震災では大量の瓦礫を取り除くため、廃棄物として重機ですくい上げ、ダンプカーに載せてごみ焼却場に運び燃やしたり地中に埋めたりすることが行われた。環境省はこの作業を進めるにあたり二〇一一年五月十六日に出した「東日本大震災に係る災害廃棄物の処理指針(マスタープラン)」の付属資料として「損壊家屋等の撤去等に関する指針」を定め、「位牌、アルバム等、所有者等の個人にとって価値があると認められるものについては、作業の過程において発見され、容易に回収することができる場合は、一律に廃棄せず、別途保管し、所有者等に引き渡す機会を設けることが望ましい」としている。
私は、瓦礫の中から写真や思い出の品を拾い上げ大切に残していこうとするこうした行為は、数百年前に作られた品々を残していこうとする行為と、もしかすると、共通しているのではないかと考えている。
震災後に波打ち際で拾い上げられた品々のうちのいくつかが数十年、数百年という長い間大切に守り伝えられたなら、当初は個人的な思い出の品々だったとしても、やがて人々にとって共通・共有の記憶となり、文化財として、多くの人々が大切に保存していくものになるであろう、そんな可能性を暗示しているのではないかと思うからだ。