「さよなら、東京。押し付けてごめんね」 冷めたアメリカから見えた東京オリンピック 渡邊裕子
(『中央公論』2021年10月号より抜粋)
東京五輪の期間中、NBC本社があるニューヨークのロックフェラー・センターには、屋外にスクリーンと座席が設置され、誰でもそこに座って流れる映像が見られるようになっていた。NBCは、アメリカでオリンピック・パラリンピックを独占放送するテレビ局だ。約2週間の大会期間中そこを何度か通りかかったが、盛り上がっている場面には遭遇せず、ランチを食べながら見ている人たちがいるくらいだった。同じく期間中に行ったスポーツバーでは、五輪よりも大リーグを見ている人たちの方が熱心な気がした(大リーグのスター選手は、五輪ではなく国内の試合に出ていた)。
2012年のロンドン、16年のリオデジャネイロ五輪の時は、友人たちとバーに行き、開会式から見ていたのをよく覚えている。今回の東京大会は、少なくともアメリカでは以前の大会よりも明らかに静かな、冷めたオリンピックだった。その理由はいくつかあったように思う。
一つは、言うまでもないが新型コロナウイルスのパンデミック下という特異な事情だ。開会式が近づくにつれ、英語圏メディアでは、この状況下での五輪開催は、無駄で無謀で無責任だというネガティブな報道ばかりが目につくようになっていた。
コロナ下での五輪開催が、日本国民の幅広い層から不評であることもよく知られていた。開会式10日前には、「日本国民のうち五輪開催を支持しているのはわずか22%」というIpsos社の調査結果が複数のメディアで報じられた。
実際、私が友人との間で交わした五輪関連の会話は、「本当にオリンピックやるの?」というものが大半で、「もうすぐオリンピックだね!」という期待の声は皆無だった。
そもそもお祭り気分でいられなかった状況に加え、スター選手の不在もあった。アメリカの陸上短距離のシャカリ・リチャードソン選手は、薬物検査で大麻の陽性反応が出て資格停止処分となり、テニスのココ・ガウフ選手は新型コロナ陽性で出場を取りやめ、体操のエース、シモーネ・バイルズ選手はメンタルヘルスを理由に団体戦の棄権を発表した。
アメリカ全体が、バカンス気分に覆われていたこともある。アメリカではワクチン接種が一段落し、夏休みの最中である。家でテレビを見るよりも外に出かけたい、去年できなかった分も旅行したい気持ちの人が多かったと思う。私自身も五輪期間は西海岸へ旅行しており、飛行機は往復ともに満席だった。
日本人であれば、安倍晋三前首相が東京五輪の意義を、「復興五輪」「人類が新型コロナに打ち勝った証しとして」と語ったことは多くが知っているだろう。しかし、海外でそれを知っている人はほとんどいない。
ひとまずオリンピックが閉幕した今、残念ながら「復興」でも、「新型コロナに打ち勝った」でもなかったように思う。むしろ、人類は新型コロナとの戦争の最中で、多くのものが犠牲になっていることを思い知らされた五輪になったと感じている。