個人が生きやすい社会とは何か――健康、嗜好の選択から考える

岡本裕一朗(玉川大学名誉教授)

「役に立たない」哲学の役割

 哲学の原則は「全てを疑え」である。他人の考えだけでなく、自分の考えそのものも「果たして正しいのか」と常に問い直す。さらにいえば、疑っている問いそのものが正しいのかも疑う。その作業を数千年も続けてきたのが哲学である。

 偉大な哲学者は、必ずそれまでのものの見方を問い直して、新しいものの見方を提供してきた。そのことで、自分がそれまでどんな考え方に囚われていたのかがわかる。それが哲学の一つの大きな強みだと思う。

 しかし、同時に哲学は、古代ギリシア時代から現在まで「役に立たない」と非難されてきた。それは、必ず疑いから出発するからだ。物事を達成することに目的が置かれるなかで、その作業そのものが正しいかどうかを問い直すところから始めると、出発すらできなくなる。だから、「哲学者はあらゆるものに首を突っ込み、批判ばかりしている」と批判されるのである。

 これに対して、イマヌエル・カントは「哲学は紐付きではないからこそ、役に立たないがために、逆に自由に思考ができる」と説いている。

 例えば、ヨーロッパの重要な学問の一つである神学を学ぶことは、非常に有力な就職口につながる。逆にいえば、神学部に入った人は、その時々のオーソドックスな神学を批判することはできない。それをしたら神学の世界から追放されるからだ。一方、哲学は就職にもつながらず、役に立たないからこそ重要なのだともいえる。

 社会がうまく行っているときには、誰も哲学に目を向けない。どうすれば成果が得られるか、どうすれば金を儲けられるかと、比較的短いスパンで物事を考えるからだ。

 人びとが哲学に目を向けることがあるとすれば、社会に対して「これでいいのか」「他にもものの見方があるのではないか」といった疑問を持つときだ。社会がうまく行っていないからこそ、「このままでいいのか」という大きな危機意識が生まれ、哲学が求められるのである。

 20世紀末にも、役に立たないからと哲学に光が当たらなかった時期があった。しかし、21世紀になってからは、人びとの目が哲学に向きはじめている。社会が大きく変わってきているからだし、社会がうまく行っていないからだろう。

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